茶席の禅語

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席の禅語 ◆

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══════════════ 目 次 ══════════════ ▼はじめに   ▼主要の禅語   ▼無季の禅語   ▼慶事の禅語   ▼仏事の禅語
▼春の禅語   ▼夏の禅語   ▼秋の禅語   ▼冬の禅語
▼一月/睦月   ▼二月/如月   ▼三月/弥生   ▼四月/卯月   ▼五月/皐月   ▼六月/水無月
▼七月/文月   ▼八月/葉月   ▼九月/長月   ▼十月/神無月   ▼十一月/霜月   ▼十二月/師走 ═══════════════════════════════



じめに~茶席の禅語~

▼ 禅語とは? ▼
商品_○○○ 禅語とは・・・









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席の禅語 解説 ◆



席の禅語~主要の禅語~

▼ 主要の禅語 ▼
商品_□□ ・・・・・・










[主要の禅語一覧]
禅 語
解 説
~ほんらいむいちぶつ~
本来無一物

[主要の禅語]
[無季の禅語]
[読 み] 本来無一物
[対 句] ―
[出 典] 六祖壇
[類 語] ―

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商品_□□ 弟子たちの力量が祖師の法を伝える水準に達したのを悟った禅宗五祖『弘忍(602-675)』は、各々の境地を詩に託して表明させ、すぐれたものを自らの後継者に指名することにした。
『弘忍(602-675)』が認めたのは下記の詩を提出した後の六祖『慧能(638-713)』であった。
「菩提本樹無し、明鏡も亦台に非ず、本来無一物、何れの処にか塵埃を惹かん」
(悟りという樹も鏡のようなも心もありはしない。もともと何もないのだから、どこに塵埃がたまり、何を払拭しようというのか)
この世のすべての物はいろいろな物がかかわり存在しているが一瞬一瞬で移り変わり本来は実体のない仮の姿であり、すべてに執着してしまうと本来なにもない事を見誤ってしまう。
自己の中にある邪念を捨て切った時に万物の美しさやありがたさのすべてが見えてくるとの意。
~むいちもつちゅうむじんぞう~
無一物中無尽蔵

[無季の禅語]
[読 み] 無一物中無尽蔵 花有り月有り楼台有り
[対 句] 無一物中無尽蔵 有花有月有楼台
[出 典] 東婆禅喜集
[類 語] 在花在月在楼台・有月有花有楼台

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商品_□□ 中国北宋代の詩人『蘇軾(1037-1101)』の詩「紈素画かず意高き哉、若し丹青を著くれば二に堕し来たる」に続く句。
何も描いていない真っ白なところにこそ第一主義の真理がある、これにもし青や赤などの色をつけたなら、それはもう第二義に堕ちてしまう。
無に徹しきったところにこそ尽きることのない世界が開けてくるのであり、そこには花もあり、月もあり、楼台もある。
絶対的否定は直ちに絶対的肯定、平等即差別であり、両者は表裏一体である。
人間は本来「無一物」でありそれに徹した時に逆の「無尽蔵」の境地が開けるの意。
~むじんぞう~
無尽蔵

[無季の禅語]
[読 み] 無尽蔵
[対 句] ―
[出 典] ―
[類 語] 無尽蔵海・無尽法蔵

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商品_□□ 尽きることなく一切隠すこともなく限りない世界。
真如・法性が一切を包摂して尽きることがないという意。
~いっけごようにひらく~
一華開五葉

[主要の禅語]
[無季の禅語]
[慶事の禅語]
[1月/睦月の禅語]
[読 み] 一華五葉を開く
[対 句] 一華開五葉 結果自然成(一華五葉を開き、結果自然に成る)
[出 典] 少室六門集
[類 語] 一花開五葉・一葉開五葉・開一花五葉・一華開五葉結果成自然

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商品_□□ 禅宗唐土の初祖『達磨大師(?-528)』が二祖『慧可(487-593)』に法を伝えるに際して詠んで与えたという有名な伝法偈。
「吾れ本茲の土に来たりて、法を伝え迷情を救う、一華五葉を開き、結果自然に成る」の第三・四句。
この句には二つの解釈があり、
一つ目は古来、『達磨大師(?-528)』の予言として知られ、『達磨大師(?-528)』の禅風が将来は五家(潙仰・臨済・曹洞・雲門・法眼)に分かれて展開することと共に、初祖『達磨大師(?-528)』から六祖『慧能(638-713)』に至り禅宗が隆起することとも解され、悟りを得て、五つの知慧を開発すれば菩提の果は期せずして成就するという意。
もう一つの解釈は
「一輪の花(華)が五つの葉をしげらせ、放っておいてもその実は自然に実る。」
『道元(1200-1253)』は「一華も五葉も今この時この場所でありのままにあらわれる」と説き、花(華)が五つの花弁を開かせて実を付けて行く様に、我々の心の花も開いて五つあると言う仏の知恵も自ずから備わり菩薩へと通じると言う意。
家業や子孫の繁栄を祝う語として、また物事や運勢が発展・興隆すると言う意味での祝辞として用いられる事が多い。
~さいほうたんしょうにまう~
彩鳳舞丹宵

[主要の禅語]
[無季の禅語]
[慶事の禅語]
[1月/睦月の禅語]
[読 み] 彩鳳丹宵に舞う
[対 句] ―
[出 典] 五灯会元
[類 語] ―

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商品_□□ 中国宋代の僧侶『仏鑑慧懃(生没享年不詳)』が仏になるとはどういうことかについて述べた言葉。
『仏鑑慧懃(生没享年不詳)』が『仏果圜悟(1063-1135)』・『仏眼清遠(生没享年不詳)』と共に師である五祖『法演禅師(1024-104)』と夜話しをしている最中に灯火が尽き真暗になった時『法演禅師(1024-104)』から自己の見解を示すように迫られた時『仏鑑慧懃(生没享年不詳)』が述べた言葉。

◆彩鳳◆
天下泰平の折に出現する瑞鳥であり五色の羽根を持つ一双の鳳凰。
◆丹宵◆
朝焼け夕焼けなどの赤い空。兆光。

一切の曇りのない『丹宵』に色鮮やかな『彩鳳』が舞うという「天下泰平」、「平穏無事」を表す美しい情景を表現した慶事の語句。
~しゅじんこう~
主人公

[主要の禅語]
[無季の禅語]
[読 み] 主人公
[対 句] ―
[出 典] 無門寒
[類 語] ―

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商品_□□ 『主人公』といえば、小説や映画、ドラマなどでは「物語の中心となる登場人物」のことを表しますが、禅語では『主人公』という言葉を、自分のなかにいる根源的で絶対的な主体性を表します。
禅の修行ではまずこの『主人公』に目覚めることが肝要であり、悟後の修行を怠らず、日常においても自己を鍛錬し、明瞭さを持続する事が求められる。
中国/浙江省の丹丘、瑞巌寺の『師彦(生没享年不詳)』和尚は、毎日自分自身に『主人公』と呼びかけては、自ら「はい」と応じ『惺々著』と語りかけては「はい」と応え、さらに「如何なるときも人にあなどられてはならんぞ」と言い聞かせては「はい、はい」と自問自答する日々を過ごしていた。
余計なものを脱ぎ去り自分らしく生きていることが個性的ということであり、自分らしく生きている自分こそが『主人公』である
~ぎょふのしょうがい
たけいっかん~

漁夫生涯竹一竿

[無季の禅語]
[読 み] 漁夫の生涯竹一竿
[対 句] 山僧活計茶三畝 漁夫生涯竹一竿
[出 典] 四朝高僧伝
[類 語] ―

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商品_□□ 漁夫は(漁師)は、生計を立てるのに釣り竿が一本だけあればよく、釣り竿一本さえあれば一生涯生きていける。
必要以上の収穫、蓄えを得ようとしていては余計な迷いが生じ、肝心な道を修めることはできず肩書きや華美な衣や高価な道具は、本来無用。
何にも執着せず歩む一つの道があれば、充分なのである。
~ざしてはみる
くものおこるとき~

坐看雲起時

[無季の禅語]
[読 み] 行きては至る水の窮まる処、坐しては看る雲の起こる時
[対 句] 行到水窮處 坐看雲起時
[出 典] 全唐詩
[類 語] 坐雲起時

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商品_□□ 中国唐代の詩人、王維の「終南別業(三体詩)」の詩の一説。
「山の中に入り、いつの間にか川の流れの尽きる処に辿り着いた。
そこは雲のわき起こるところであり、坐りこみ無心にその様子を眺める。」
無心にして自然と一体化した悠々と自適する境涯を詠っている。
物事の本源に迫り、そこに視点を据えたときにはじめて世界が開け、新しい発想、あらたな視野が雲のようにわき起こってくる。
~らっかりゅうすいにしたがう~
落花随流水

[無季の禅語]
[読 み] 落花流水に随い 流水落花を送る
[対 句] 落花随流水 流水送落花
[出 典] 景徳伝灯録
[類 語] 落花有意隨流水・流水無情送落花

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商品_□□ 曹洞宗で重んじられる『従容録』に「落花意有って流水に随い、流水情無くして落花を送る」という対句があり、これを大徳寺の『大徳寺百七十世住持/清巌宗渭(1588-1662)』が文字を削って揮毫したのが「落花流水に随い、流水落花を送る」である。
水に流される落花も水に流されるために落ちたのではなく、花を送る流水も落花を送るために流れているわけではない。
花は自然に落ち、川は無心に流れ、共に無心であり何のはからいも無い情景を表した句。

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席の禅語~春の禅語~

▼ 春の禅語 ▼
商品_□□ ・・・・・・










[春の禅語の禅語一覧]
禅 語
解 説
~やなぎはみどり
はなはくれない~

柳緑花紅

[春の禅語]
[2月/如月の禅語]
[3月/弥生の禅語]
[読 み] 柳は緑 花は紅
[対 句] ―
[出 典] 東坡詩集
[類 語] 花紅柳緑・柳緑兮花紅・柳緑桃紅

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商品_□□ 中国宋代の詩人『蘇軾(東坡)(1037-1101)』の「柳緑花紅、真面目」という詩からの引用。
(「花紅柳緑」を転倒させたもので、意味は同じ。)
事々物々、自然のままに人間の手を加えることなく、春が来れば「花は紅く染まり、柳は青々と緑になる」という春の景色を詠んだ句であり、「花は紅く、柳は緑」という自然のありのままの姿こそ真実であるという句。
~ひゃっかはるにいたり
たがためにひらく~

百花春至為誰開

[春の禅語]
[2月/如月の禅語]
[3月/弥生の禅語]
[読 み]  百花の春に至って、誰が為に開く
[対 句]  ―
[出 典]  ;碧巌録
[類 語]  春至百花開・百花為誰開

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商品_□□ 「春が来てたくさんの花々が咲くのは一体誰の為に花を咲かせるのか?」と問いかける言葉である。
綺麗に花々を咲かせる植物は人々を楽しませるために花を咲かせているわけではなく自然の摂理であり自分自身の生命の役割を無心に果たしているだけである。
花は無心であればこそ時期が来れば時を違えず美しく咲き、一切の作為もないまま人の眼を喜ばせているのである。

花はただ咲き、私達に生き方を教え、勇気づけ、慰め、そして楽しませてくれている。
しかも花はその功を少しも誇る事もない。
自分の存在価値、生きる意味などふと疑問になる瞬間があるが、自分の人生は他人に評価される為でなく、自分の信に従って一生懸命であればいいとの意。
~とうかしゅんぷうにえむ~
桃花笑春風

[春の禅語]
[2月/如月の禅語]
[3月/弥生の禅語]
[桃の節句/雛祭]
[読 み] 桃花春風に笑む
[対 句] ―
[出 典] ―
[類 語] ―

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商品_□□ 中国の唐代『崔護(生没享年不詳)』の漢詩「人面桃花」からの引用。
「去年今日此門中 人面桃花相映紅 人面不知何處去 桃花依舊笑春風」。
(去年の今日 此の門の中 人面桃花相映じて紅なり 人面 何処に在るか知らず 桃花 旧に依って春風に笑む)

うららかな春風に揺られて咲く桃の花は、まるで微笑んでいるように美しく咲いている。
人の世は変わっても無心に咲く桃の花の美しさは変わらないという句。
~とうかせんざいのはる~
桃花千歳春

[春の禅語]
[2月/如月の禅語]
[3月/弥生の禅語]
[桃の節句/雛祭]
[読 み] 桃花千歳の春
[対 句] ―
[出 典] ―
[類 語] 桃花千年春

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商品_□□ 「桃の花は千年変わらず無心に咲き、春の訪れを伝えている」という意。
中国古代の伝説には『崑崙山』という山に住む『西王母』という仙女が持っている桃の実を食すと三千年の長寿を得るという言い伝えがあり、中国では古くから「桃」は長寿や魔除けを意味するものとして考えられている。
そのため、近年の中国においても長寿や吉祥を祝う際の品には必ずと言ってよいほど「桃の絵」が描かれ、寺院においても魔除けとして扉に桃の図柄を彫り込んだり絵を描いたりしている。
~ばんぶつこうきをしょうず~
萬物生光輝

[慶事の禅語]
[春の禅語]
[1月/睦月の禅語]
[初釜/正月]
[読 み] 萬物光輝を生ず
[対 句] ―
[出 典] 古楽府
[類 語] ―

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商品_□□ この世界に起こるすべて、すなわち森羅万象はすべてが輝きすべてが存在している。
禅的に解釈すればすべての事象について、自身が理解する前に見ていた世界は自身が悟りを開き理解したあとには一転、諸法実相(真実の姿)の光り輝く姿が見えるという意。

正月の試筆によく揮毫されており、初釜など新春などの茶席に相応しい句。

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席の禅語~夏の禅語~

▼ 夏の禅語 ▼
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[夏の禅語一覧]
禅 語
解 説
~たきちょっかさんぜんじょう~
瀧直下三千丈

[夏の禅語]
[7月/文月の禅語]
[8月/葉月の禅語]
[読 み] 瀧、直下三千丈
[対 句] ―
[出 典] ―
[類 語] 瀑直下三千丈

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商品_□□ 唐の詩人『李白(701-762)』の「廬山の瀑布を望む」という詩の一説。
「飛流直ちに下る三千尺、疑うらくは、是れ銀河の九天より落つるかと」を改変した句。
巨大な瀧はしぶきをあげて流れ落ちその距離は三千丈もありそれはまるで天の川が天空から落ちてきたかのようであるという意。
雄壮な瀧は、涼しさを伝えながら、生命の源である力強く勇ましい姿でもある。

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席の禅語~秋の禅語~

▼ 秋の禅語 ▼
商品_□□ ・・・・・・










[秋の禅語一覧]
禅 語
解 説
~きくをとおりのもとにとる~
採菊東籬下

[秋の禅語]
[九月/長月の禅語]
[十月/神無月の禅語]
[菊の節句]
[読 み] 菊を東籬の下に採り、悠然として南山を見る
[対 句] 採菊東籬下 悠然見南山
[出 典] 陶淵明集
[類 語] 菊採東籬下

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商品_□□ 中国の南北朝時代(四世紀頃)の文学者『陶淵明(365-427)』の「飲酒二十首・其五」の一説。
『陶淵明(365-427)』は酒と菊を愛した。
「東の垣根に咲いている菊の花を採り、悠然たる南山の姿を見て楽しみ、ゆったりと時を過ごす。」
このような生活、このような自然の風景の中にこそ言葉では言い表せない人生の真意が込められているのではないかという意。

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席の禅語~冬の禅語~

▼ 冬の禅語 ▼
商品_□□ ・・・・・・










[冬の禅語一覧]
禅 語
解 説
~たきちょっかさんぜんじょう~
瀧直下三千丈

[夏の禅語]
[7月/文月の禅語]
[8月/葉月の禅語]
[読 み] 瀧、直下三千丈
[対 句] ―
[出 典] ―
[類 語] 瀑直下三千丈

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商品_□□ 唐の詩人『李白(701-762)』の「廬山の瀑布を望む」という詩の一説。
「飛流直ちに下る三千尺、疑うらくは、是れ銀河の九天より落つるかと」を改変した句。
巨大な瀧はしぶきをあげて流れ落ちその距離は三千丈もありそれはまるで天の川が天空から落ちてきたかのようであるという意。
雄壮な瀧は、涼しさを伝えながら、生命の源である力強く勇ましい姿でもある。

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席の禅語~五月/皐月~

▼ 五月/皐月 ▼
商品_□□ ・・・・・・










[五月/皐月の禅語一覧]
名 称
解 説
~かぜうごきてつるまつにきす~
風動鶴帰松

[慶事の禅語]
[五月/皐月の禅語]
[初風炉]
[表千家]
[読 み] 風動きて鶴松に帰す
[対 句] ―
[出 典] ―
[類 語] 鶴宿千年鶴

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商品_□□ 「風(薫風)吹く頃、今年も鶴が去年と同じ松に帰り羽を休めている」情景を表した句。
表千家においては初風炉の際に掛けられており、新しい風炉の時期を迎える祝いの意と共に新しい風炉の時期を迎えるにあたりもう一度初心に戻り点前を行う意がある。

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席の禅語~七月/文月~

▼ 七月/文月 ▼
商品_□□ ・・・・・・










[七月/文月の禅語一覧]
名 称
解 説
~りょうふう~
涼 風
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

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