▼ 出自 ▼
『[父]樂家二代/常慶(生年不詳-1635)』の長男
『[次男]樂家/樂道楽(生没享年不詳)』の兄
▼ 陶工 ▼
『[父]樂家二代/常慶(生年不詳-1635)』
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▼ 事績 ▼
【樂家】歴代随一の名工とされ【樂家】の最高峰と称される。 『樂家初代/樂長次郎(生年不詳-1589)』以外では唯一、『吉左衛門』を名乗らず、【吉兵衛】と名乗る。
『樂家初代/樂長次郎(生年不詳-1589)』が『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522-1591)』に遭遇したように【樂家三代/樂道入(ノンコウ)(1599-1656)】もまた『千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578-1658)』に出会い茶匠・良工が相まって後世に名器を残したといわれている。
また『[工芸家]本阿弥光悦(1558-1637)』との交流も深く、『[工芸家]本阿弥光悦(1558-1637)』の「黒茶碗」のほとんどは『[父]樂家二代/樂常慶(生年不詳-1635)』、【樂家三代/道入(ノンコウ)】の親子によって【樂家】の窯で焼成されたといわれている。
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▼ ノンコウ ▼
別名の【ノンコウ】とは通称であり
・『千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578-1658)』が伊勢参宮の途次、鈴鹿の能古茶屋で二重切竹花入を作り【ノムカウ】と銘付け【樂家三代/道入(ノンコウ)】に贈ったところ非常に気に入って常に座右に置いていたところから・・・。
という説や
当時流行の両鬢 を細く狭くとり、髷を高く結った「のんこ髷」を【樂家三代/道入(ノンコウ)】が人に先んじて結ったため・・・
などその出所には諸説あるがいずれも判然としない。
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▼ 作風 ▼
作品のほとんどは茶碗で『樂家初代/樂長次郎(生年不詳-1589)』や『[父]樂家二代/樂常慶(生年不詳-1635)』とは全く異なる、【朱色】・【黄色】など多数の釉薬を使用する明るい作風が特徴で『[工芸家]本阿弥光悦(1558-1637)』の影響を受けたと考えられる。
素地には【聚樂土】と【白土】の二種が使われ釉薬では【幕釉】、【砂釉】をはじめ現在に於いても【樂家】の秘伝とされている【朱釉】など創製・工夫がある。
幕釉は口縁より胴にかけてのドロリとした山道風の釉掛けでその黒釉はきわめて美しい蛍光を発し「紫」、「青」など玉虫のような色を反射するので、【玉虫釉】とも称されている。
口造りは【五岳】などと称されるほど明確な高低はなく内部は大らかな丸い窪みをなし茶溜りと茶筅摺れとの区別が判然としない。
高台は土見のものが多く【中印】を美しく残すものと巴を箆取りしたものとがある。
『[工芸家]本阿弥光悦(1558-1637)』の影響もあり【樂家三代/樂道入(ノンコウ)(1599-1656)】の作風にはこれまでには見られなかった斬新な作行きが示されており、装飾性を徹底して省いた『樂家初代/樂長次郎(生年不詳-1589)』の伝統的世界に【黒釉】、【白釉】、【透明釉】をかけあわせるなど装飾的な効果をモダンに融合させ明るい軽やかな個性を表現した。
▼ 印 ▼
銘印は「大印」と「小印」の二種があり【樂】の字の中の白が【自】となっているのが特徴で【白樂印】と尊称される。また押印の場所も【中印】、【片押】、【遊印】の別がある。
▼ 代表作 ▼
◆ノンコウ七種◆(加賀藩家老『青山将監』が所持していたものとされる)
・黒樂茶碗 銘「稲妻」『表千家四代/逢源斎江岑宗左』箱(※表千家/不審庵蔵)
・黒樂茶碗 銘「千鳥」『表千家六代/覚々斎原叟宗左』箱(※藤田美術館蔵)
・赤樂茶碗 銘「若山」『表千家七代/如心斎天然宗左』箱(※野村美術館蔵)
・赤樂茶碗 銘「鵺」『表千家六代/覚々斎原叟宗左』箱(※三井文庫蔵)
・黒樂茶碗 銘「獅子」『表千家七代/如心斎天然宗左』箱
・黒樂茶碗 銘「升」『表千家六代/覚々斎原叟宗左』箱
・赤樂茶碗 銘「鳳林」『表千家四代/逢源斎江岑宗左』箱
◆ノンコウ加賀七種◆
・黒樂茶碗 銘「香久山」『表千家四代/逢源斎江岑宗左』箱
・黒樂茶碗 銘「霞」『表千家八代/啐啄斎件翁宗左』箱
・黒樂茶碗 銘「桔梗」
・黒樂茶碗 銘「善福寺」
・黒樂茶碗 銘「青山」
・黒樂茶碗 銘「此花」
・黒樂茶碗 銘「今枝」
◆ノンコウ後窯七種◆(『樂家初代/長次郎』の茶碗を写した物)
・黒樂茶碗 銘「貧僧」
・黒樂茶碗 銘「鉢の子」
・黒樂茶碗 銘「小黒」
・黒樂茶碗 銘「大黒」
・赤樂茶碗 銘「検校」
・赤樂茶碗 銘「早船」
・樂茶碗 銘「小雲雀」
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