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千家十職:樂吉左衛門

  • ◆ 樂家歴代 ◆
名/生没享年
元祖  【渡来人/初代長次郎 [父]】
 阿米也  ~あやめ~
生没享年不詳  
 【初代長次郎の妻 [祖父】
 田中宗慶  ~たなか・そうけい~
天文四年(1535年) ― 文禄四年(1595年) / 六十歳  
初代
 長次郎  ~ちょうじろう~
生年不詳 ― 天正十七年(1589年) / 享年不詳  
 【田中宗慶 [子]】
 庄左衛門・宗味  ~しょうざえもん・そうみ~
貞享二年(1685年) ― 元文四年(1739年) 九月二十五日 / 五十五歳  
二代
 樂 常慶  ~らく・じょうけい~
天文四年(1535年) ― 文禄四年(1595年) / 六十歳  
三代
 樂 道入(ノンコウ)  ~らく・どうにゅう(のんこう)~
慶長四年(1599年) ― 明暦二年(1656年) 二月二十三日 / 五十八歳  
 【三代樂道入(ノンコウ) [弟]】
 樂 道樂  ~らく・どうらく~
生没享年不詳  
四代
 樂 一入  ~らく・いちにゅう~
寛文二年(1662年) ― 享保七年(1722年) / 六十一歳  
 【玉水焼初代・四代楽一入 [庶子]】 
 一元 ~いちげん~
寛文四年(1664年) ― 享保元年(1716年) 九月三日 / 五十三歳  
五代
 樂 宗入  ~らく・そうにゅう~
寛文四年(1664年) ― 享保元年(1716年) 九月三日 / 五十三歳  
六代
 樂 左入  ~らく・さにゅう~
貞享二年(1685年) ― 元文四年(1739年) 九月二十五日 / 五十五歳  
七代
 樂 長入  ~らく・ちょうにゅう~
正徳四年(1714年) ― 明和七年(1770年) 九月五日 / 五十六歳  
八代
 樂 得入  ~らく・とくにゅう~
延享二年(1745年) ― 安永三年(1774年) 十一月十日 / 三十歳  
九代
 樂 了入  ~らく・りょうにゅう~
宝暦六年(1756年) ― 天保五年(1834年) 九月十七日 / 七十九歳  
十代
 樂 旦入  ~らく・たんにゅう~
寛政七年(1795年) ― 安政元年(1854年) 十二月二十四日 / 五十九歳  
十一代
 樂 慶入  ~らく・けいにゅう~
文化十四年(1817年) ― 明治三十五年(1902年) 一月三日 / 八十六歳  
十二代
 樂 弘入  ~らく・こうにゅう~
安政四年(1857年) ― 昭和七年(1932年) 九月二十四日 / 七十六歳  
十三代
 樂 惺入  ~らく・せいにゅう~
明治二十年(1887年) ― 昭和十九年(1944年) 三月八日 / 五十八歳  
十四代
 樂 覚入  ~らく・かくにゅう~
大正七年(1918年) ― 昭和五十五年(1980年) 五月六日 / 六十二歳  
[当代]
十五代

 樂 吉左衛門  ~らく・きちざえもん~
昭和二十四年(1949年) 三月二十六日 ―  
次代  【十五代(当代)樂吉左衛門 [長男]】
 樂 篤人  ~らく・あつんど~
昭和五十八年(1983年) 十月二十九日  
 【十五代(当代)樂吉左衛門 [次男]】
 樂 雅臣  ~らく・まさおみ~
昭和五十八年(1983年) 十月二十九日 ―  


  • ◆ 樂焼と樂家 ◆

樂吉左衛門の茶碗

【樂焼】とは、わが国において【樂焼】の誕生以前の焼物とはまったく異なる方法論と技術によって導かれた焼物である。

近年の研究により【樂焼】のルーツは《中国(明代)/河南地方》の「三彩陶」であるということがわかり、古文書には【樂焼】創始者である【樂家初代/樂長次郎】の父にあたる唐人【阿米也】なる人物が記載されている。

現在において作品こそ残されていないが、この【阿米也】こそが、《中国(明代)》から「三彩陶」の技法をわが国へ伝えた人物と考えられている。

わが国においても桃山時代には京都を中心に色鮮やかな「三彩釉」を用いる焼物が盛んに焼かれはじめており、【樂家初代/樂長次郎】もその技術をもった【焼物師】の一人であったと考えられている。

またわが国独自の産物であり「質」、「形」、「色」などそのすべての特徴は「茶の湯」に合致し、【樂家初代/樂長次郎】に対する「茶の湯」の大成者である『抛筌斎千宗易(利休)(1522-1591)』の指導が推測される。

【樂家】は『豊臣秀吉(1536-1598)』が建てた《聚樂第》近くに居を構えていたこと、また【樂家初代/樂長次郎】【樂茶碗】は、《聚樂第》に屋敷をもつ『抛筌斎千宗易(利休)(1522-1591)』の手を経て世に出されたことなどから、この焼物が後に【聚樂焼茶碗】と呼ばれるようになり、やがて【樂焼】【樂茶碗】と尊称されるようになったという。

以来、現代に至るまで【樂】は性となり、また【樂家三代/道入(ノンコウ)】以降の各当主には隠居した時に【入】の字を含む【入道号】という名前が贈られており、後世にはその名前で呼ばれる事が多い。

また【樂家】が現在の地《京都/油小路二条》に居と窯場を構えたのは桃山時代に遡る。

天正四年(1576)に《京都/法華寺》再建のための「勧進帳記録(京都頂妙寺文書)」に【田中宗慶】【樂家二代/樂常慶】【庄左衛門・宗味】の名前が残されており【田中宗慶】は《南猪熊町》、【樂家二代/樂常慶】は《中筋町》、【庄左衛門・宗味】は《西大路町》を住まいしていたことを確認することができる。
以来四百五十年、【樂家】歴代は変わることなく【樂焼】の伝統と一子相伝の技術を現代に伝え、その制作と焼成法は四百五十年前と全く変わらぬ方法で現在も焼かれている。

※『抛筌斎千宗易(利休)(1522-1591)』や【樂家初代/樂長次郎】が生きていた時代は、まだ【樂焼】という名ではなく当初「今焼かれた茶碗」、「新しい茶碗」として【今焼】と尊称されていました。

※【樂家初代/樂長次郎】の残した最も古い作品は天正二年(1574年)春につくられた「二彩獅子像」で、その数年後の天正七年(1579)頃に「樂茶碗」が造られたのではないかと考えられている。

【樂焼】【樂】とは『豊臣秀吉』によって造営され、時代のシンボルともいうべき《聚樂第》の焼物として、【樂家初代/樂長次郎】の妻の祖父である【田中宗慶】がその【樂】の一字を『豊臣秀吉』から賜り、【樂焼】とされたと考えられている。(※その他諸説あり)

【樂家三代/樂道入(ノンコウ)】【樂家八代/樂得入】【樂家十三代/樂惺入】【樂家十四代/樂覚入】の号は没後に贈られている。



  • ◆ 樂焼製法 ◆

【樂焼】は一般的に手と箆(ヘラ)だけで形成する【手捏ね(てずくね)】と呼ばれる方法で成形した後、750℃~1,100℃で焼成された「軟質施釉陶器」である。

初期の製法としては素焼後に《加茂川(京都市)》の黒石からつくられた鉄釉をかけて陰干し乾いた後にまた「釉薬」を掛けるといった工程を十数回繰り返し1,000℃程度で焼成し「釉薬」が溶けたところを見計らって窯から引き出し急冷することで黒く変色する。

また初期の【赤樂】は胎土聚樂土を素焼きし,透明の釉薬をかけて800℃程度で焼成している。


  • ◆ 歴代解説 ◆
    ― 目次 ―
  • ― 解説 ―

  • 樂家元祖 阿米也 ~あやめ~
  • 生没年不詳
出自
中国渡来人
『[子]樂焼初代/樂長次郎』の父

[名]【阿米也】【飴屋】【阿米夜】【飴也】

事績
【樂焼】の技術が中国(明時代)の「華南三彩」に繋がることから【阿米也】は《中国/福建省》あたりの出身と推測される。
また伝世する作品はないがおそらく《加茂川(京都市)》の石を使った「黒釉」を工夫したと考えられている。

備考
※元禄七年(1694)編の『和漢諸道具見知鈔』に【元祖は唐人にて利休時代なり】とある。
※『本阿弥行状記』には【飴屋長次郎が親は中華の人なり】とある。
※『樂焼代々』には【一、飴也。朝鮮人也。来朝シテ樂焼家の祖ト成る】とある。

享年
生没享年不詳。

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  • 田中宗慶 ~たなか・そうけい~
  • 天文四年(1535年) ― 文禄四年(1595年) / 六十歳
出自
田中宗慶_花押
『楽家初代/楽長次郎』の妻の祖父
『[長男]庄左衛門・宗味』の父
『[次男]楽家二代/楽常慶』の父


事績
【田中】姓を名乗り『抛筌斎千宗易(利休)(1522-1591)』に従事していた人物とされ、『春屋宗園(1529-1611)』、『長谷川等伯(1539-1610)』などとも深い交流を持っていたとされている。

天正四年(1576)には《京都洛中上京区南猪熊町》に住んでいたという記録があり【天下一焼物師】の名を許され『楽家初代/楽長次郎』と共に楽焼工房を営んでいた。

作風
【樂家】の「宗入文書」によると【田中宗慶】には『[長男]庄左衛門・宗味』と『[次男]楽家二代/楽常慶』の二子がおり、現在【樂家】では弟の『常慶』を『楽家二代』としている。
※「とし六十/田中/天下一宗慶(花押)/文禄四年9月吉日」と銘記される「三彩獅子香炉《梅沢記念館》」が伝存しており、これにより【田中宗慶】の伝はかなり明らかとされている。

『豊臣秀吉(1536-1598)』から【天下一】の称と【楽】の文字の【金印】【銀印】を賜ったといわれている。

また『楽家初代/楽長次郎』同様、「利休形楽茶碗」を制作、その他に「三彩獅子香炉」などが伝世、それらには【楽】の印が押されており『楽家初代/楽長次郎』作のものとは区別されている。
ただすべての作品に「印」が捺されていたわけではなく「無印」のものもあると考えられている。

代表作
「三彩獅子香炉《梅沢記念館蔵》」のほか「黒楽獅子香炉《滴翠美術館蔵》」・「黒茶碗「天狗」《梅沢記念館蔵》」・「黒茶碗《藪内家蔵》」などが現存する。

享年
文禄四年(1595年)没。享年六十歳。

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  • 樂家初代 長次郎 ~ちょうじろう~
  • 生年不詳 ― 天正十七年(1589年) / 享年不詳
出自
樂長次郎_花押
『元祖/阿米也』の子(※詳細不詳)

[名]【長次郎】
[号]【長祐】
[法名]【最勝印長祐日元】

門下
『庄左衛門宗味』
『樂家二代/樂常慶』

事績
天正初年(1573)までは彫塑的な棟瓦などを焼く職人であり、天正二年(1574)『織田信長(1534-1582)』の命により獅子の棟瓦を焼き、天正十三年(1585)の『豊臣秀吉(1536-1598)』の《聚樂第》造営に際してはその瓦の装飾部分を焼造したと伝えられる。

また「茶の湯」の大成者である『抛筌斎千宗易(利休)(1522-1591)』に見出され、その指導のもと【黒樂茶碗】【赤樂茶碗】を造り【樂焼】を創設したとされる。

【樂家】の「宗入文書」によると元禄元年(1688)より百年前の天正十七年(1589)の没とされる。

作風
その独創的な造形には『抛筌斎千宗易(利休)(1522-1591)』の「侘(わび)」の思想が濃厚に反映されており、装飾性、造形的な動きや変化、あるいは個性的な表現を可能な限り捨象し、「禅」などの老荘思想の流れを汲むきわめて理想的で濃厚な深い存在感を表している。

代表作
◆重要文化財◆
 ・黒樂茶碗 銘「大黒」(個人蔵)《「長次郎七種」・「長次郎外七種」》
 ・黒樂茶碗 銘「東陽坊」(個人蔵)《「長次郎七種」》
 ・黒樂茶碗 銘「俊寛」(個人蔵)
 ・赤樂茶碗 銘「太郎坊」(裏千家/今日庵蔵)《「長次郎外七種」、「長次郎新撰七種」》
 ・赤樂茶碗 銘「無一物」(公益財団法人頴川美術館蔵)

◆長次郎七種◆
 ・黒樂茶碗 銘「大黒」(※個人蔵)《「重要文化財」》
 ・黒樂茶碗 銘「東陽坊」(※個人蔵)《「重要文化財」》
 ・赤樂茶碗 銘「早船」(畠山美術館蔵)
 ・黒樂茶碗 銘「鉢開」
 ・赤樂茶碗 銘「木守」
 ・赤樂茶碗 銘「臨済」
 ・赤樂茶碗 銘「検校」

◆長次郎外七種◆
 ・赤樂茶碗 銘「太郎坊」(※裏千家/今日庵蔵)《「重要文化財」、「長次郎新撰七種」》
 ・黒樂茶碗 銘「雁取」(※サンリツ服部美術館蔵)
 ・黒樂茶碗 銘「閑居」《「長次郎新撰七種」》
 ・黒樂茶碗 銘「小黒」
 ・赤樂茶碗 銘「一文字」
 ・赤樂茶碗 銘「聖」
 ・赤樂茶碗 銘「横雲」

◆長次郎新撰七種◆(『表千家十代/吸江斎祥翁宗左』の門人『金森得水』により選定)
 ・赤樂茶碗 銘「太郎坊」(※裏千家/今日庵蔵)《「重要文化財」・「長次郎外七種」》
 ・黒樂茶碗 銘「閑居」《「長次郎外七種」》
 ・黒樂茶碗 銘「村雨」
 ・黒樂茶碗 銘「ムキ栗」
 ・黒樂茶碗 銘「風折」
 ・赤樂茶碗 銘「針屋」
 ・赤樂茶碗 銘「二郎坊」

備考
【樂家】の「宗入文書」によると『田中宗慶』の子の『庄左衛門宗味』が『樂家初代/長次郎』の舅にあたり『庄左衛門宗味』は元禄元年(1688)より七十年前、すなわち元和五年(1619)の没とされるのでここに『二代目/長次郎』の存在を考えざるを得ない。
※千家では二代目以降を区別して箱書に「二代目長次郎」・「長二郎」などと書いたものがある。
※二代目が早世したので妻は剃髪して『庄左衛門宗味』の家に帰り「尼焼」を焼いたとされている。
【樂家】では『元祖/阿米也』・『樂家初代/長次郎』・『田中宗慶』・『庄左衛門宗味』を包括して樂家の初代『長次郎』とし『樂家二代/吉左衛門』を『常慶』としている。

享年
天正十七年(1589年)没。享年不詳。

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  • 田中宗慶 [子] 庄左衛門・宗味 ~しょうざえもん・そうみ~
  • 貞享二年(1685年) ― 元文四年(1739年) 九月二十五日 / 五十五歳
出自
『[父]田中宗慶』の長男
『[次男]樂家二代/樂常慶』の兄


事績
子孫も【宗味】を称したと思われ現存する【宗味】作と伝えられる茶碗は《洛東/双林寺》にいた子孫の作品と思われるものが多く、現在【宗味】作とされる作品も伝世しているが不確かなものが多くこれからも研究課題とされている。

作風
その独創的な造形には『抛筌斎千宗易(利休)(1522-1591)』の「侘(わび)」の思想が濃厚に反映されており、装飾性、造形的な動きや変化、あるいは個性的な表現を可能な限り捨象し、「禅」などの老荘思想の流れを汲むきわめて理想的で濃厚な深い存在感を表している。

『[父]田中宗慶』が拝領した【金印】を伝領したといわれている。

参考
※『宗味』の娘が『樂家初代/長次郎』長次郎の妻であったと「宗入文書(元禄元年)」に誌されている。

享年
元文四年(1739年) 九月二十五日没。享年五十五歳。

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  • 長次郎焼 ~ちょうじろうやき~
事績
初期の【樂焼】の総称で『阿米也』、『長次郎』、『宗慶』、『宗味』ら数人の作品(二代常慶以降は含めない)を総称し【長次郎焼】と称す。
ただしどの作品がどの陶工のものかは決定しがたい。
当時は【焼茶碗】【あら茶碗】【今焼茶碗】などと称され【聚樂焼】とも呼ばれていた。

作風
「聚樂土」と呼ばれる赤味のあるねっとりした土が用いられ「釉」は「黒釉」、「赤釉」、「飴釉」、「交趾釉」などが用いられている。

代表作
『樂家初代/樂長次郎』とされる【樂茶碗】のうち現存するものは
・「古様」のものに「勾当」、「道成寺」。
・「腰高」の様式をとるものに「東洋坊」、「早船」。
・その他に「大黒」、「北野」、「無一物」など
代表される典型的な半筒形が『抛筌斎千宗易(利休)(1522-1591)』の好みとして知られ、また「変化」のあるものに
・「俊寛」、「あやめ」、「古狐」、「貧僧」
などがある。

【樂】の印は『田中宗慶』が『豊臣秀吉(1536-1598)』から拝領し、作品に用いたのがはじまりで『元祖/阿米也』、『樂家初代/樂長次郎』系にはこの捺印は見られない
※『田中宗慶』作とされるものには必ず捺印があり「三彩獅子香炉(梅沢記念館蔵)」のほか「黒樂獅子香炉(滴翠美術館蔵)」、「黒茶碗 銘「天狗」(梅沢記念館蔵)」、「黒茶碗(藪内家蔵)」が現存し、おそらく拝領の【金印】であるといわれている。

参考
『宗味』の子孫が『豊臣秀吉(1536-1598)』拝領の「金印」を持って《洛東/双林寺》に移り代々「宗味焼」を焼いていたといわれている。

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  • 樂家二代 樂 常慶 ~らく・じょうけい~
  • 生年不詳 ― 寛永十二年(1635年) 五月二日 / 享年不詳
出自
樂常慶_花押
『[父]田中宗慶』の次男
『[長男]庄左衛門・宗味』の弟

[幼名]【与次】
[名]【吉左衛門】【常慶】

師事
『樂家初代/樂長次郎』
『[父]田中宗慶』

門下
『樂 道樂』

事績
先代の『樂家初代/樂長次郎』の実子でもなく、また『[父]田中宗慶』の長男でもなかった【樂家二代/樂常慶】が跡取りとなった経緯については【樂家】にも伝来する資料が無く今では謎とされているが『抛筌斎千宗易(利休)(1522-1591)』が『豊臣秀吉(1536-1598)』と対立し切腹に追い込まれたため、『抛筌斎千宗易(利休)(1522-1591)』に一番関わりの薄かった【樂家二代/樂常慶】が当主となったという説がある。

名工として『徳川家二代将軍/徳川秀忠(1579-1632)』、『蒲生氏郷(1556-1595)』、『前田利長(1562-1614)』、『千家二代/千少庵(宗淳)(1546-1614)』など多くの支持者を持ち『本阿弥光悦(1558-1637)』との交流も知られている。

【樂家二代/樂常慶】は『樂家初代/樂長次郎』没後、【樂焼】の工房を統率し、今日ある【樂家】の基礎を築きました。
また【樂家】では【樂家二代/樂常慶】より代々【長左衛門】を名乗るようになる。

作風
【樂家二代/樂常慶】の作品には造形的な動きを表し中には沓形に変化を加えたものもあり、これは『樂家初代/樂長次郎』には見られなかった作行きである。
慶長期に流行する「織部好」をいち早く取り入れていることがうかがえる作風は一体に手堅く端厳の感があり「黒釉」はいわゆる「道安黒」で「赤釉」、「黒釉」の二種の釉にくわえ、「白樂茶碗」、「香炉」などに伝わる【白釉(香炉釉)】を完成させた。

※『[父]田中宗慶』が拝領の「金印(樂)」をややくずした【樂印】を用いている。
※「在印」と「無印」があり【樂印】は『徳川家二代将軍/徳川秀忠(1579-1632)』より拝領したものと考えられている。
※ 昭和三十三年(1958)《東京/増上寺》の「秀忠墓陵」の発掘の際『樂家二代/樂常慶』の作で在印のある【白釉阿古陀香炉】が出土されている。

享年
寛永十二年(1635年) 五月二日没。享年不詳。

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  • 樂家三代 樂 道入(ノンコウ) ~らく・どうにゅう(のんこう)~
  • 慶長四年(1599年) ― 明暦二年(1656年) 二月二十三日 / 五十八歳
出自
樂道入(ノンコウ)_花押
『[父]樂家二代/常慶』の長男

[名]【吉兵衛】【吉左衛門】
[通称]【ノンコウ】
[号]【道入】

師事
『樂家二代/樂常慶』

事績
【樂家】歴代随一の名工とされ【樂家】の最高峰と称される。 『樂家初代/樂長次郎』以外では唯一、『吉左衛門』を名乗らず、【吉兵衛】と名乗る。
『樂家初代/樂長次郎』が『抛筌斎千宗易(利休)(1522-1591)』に遭遇したように【樂家三代/道入(ノンコウ)】もまた『千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578-1658)』に出会い茶匠・良工が相まって後世に名器を残したといわれている。

また『本阿弥光悦(1558-1637)』との交流も深く、『本阿弥光悦(1558-1637)』の「黒茶碗」のほとんどは『[父]樂家二代/樂常慶』、【樂家三代/道入(ノンコウ)】の親子によって【樂家】の窯で焼成されたといわれている。

作風
作品のほとんどは茶碗で『樂家初代/樂長次郎』や『[父]樂家二代/樂常慶』とは全く異なる、【朱色】【黄色】など多数の釉薬を使用する明るい作風が特徴で『本阿弥光悦(1558-1637)』の影響を受けたと考えられる。

素地には【聚樂土】【白土】の二種が使われ釉薬では【幕釉】【砂釉】をはじめ現在に於いても【樂家】の秘伝とされている【朱釉】など創製・工夫がある。

幕釉は口縁より胴にかけてのドロリとした山道風の釉掛けでその黒釉はきわめて美しい蛍光を発し「紫」、「青」など玉虫のような色を反射するので、【玉虫釉】とも称されている。
口造りは【五岳】などと称されるほど明確な高低はなく内部は大らかな丸い窪みをなし茶溜りと茶筅摺れとの区別が判然としない。
高台は土見のものが多く【中印】を美しく残すものと巴を箆取りしたものとがある。

『本阿弥光悦(1558-1637)』の影響もあり【樂家三代/道入(ノンコウ)】の作風にはこれまでには見られなかった斬新な作行きが示されており、装飾性を徹底して省いた『樂家初代/樂長次郎』の伝統的世界に【黒釉】【白釉】【透明釉】をかけあわせるなど装飾的な効果をモダンに融合させ明るい軽やかな個性を表現した。

銘印は「大印」と「小印」の二種があり【樂】の字の中の白が【自】となっているのが特徴で【白樂印】と尊称される。また押印の場所も【中印】【片押】【遊印】の別がある。

代表作
◆ノンコウ七種◆(加賀藩家老『青山将監』が所持していたものとされる)
 ・黒樂茶碗 銘「稲妻」『表千家四代/逢源斎江岑宗左』箱(※表千家/不審庵蔵)
 ・黒樂茶碗 銘「千鳥」『表千家六代/覚々斎原叟宗左』箱(※藤田美術館蔵)
 ・赤樂茶碗 銘「若山」『表千家七代/如心斎天然宗左』箱(※野村美術館蔵)
 ・赤樂茶碗 銘「鵺」『表千家六代/覚々斎原叟宗左』箱(※三井文庫蔵)
 ・黒樂茶碗 銘「獅子」『表千家七代/如心斎天然宗左』箱
 ・黒樂茶碗 銘「升」『表千家六代/覚々斎原叟宗左』箱
 ・赤樂茶碗 銘「鳳林」『表千家四代/逢源斎江岑宗左』箱

◆ノンコウ加賀七種◆
 ・黒樂茶碗 銘「香久山」『表千家四代/逢源斎江岑宗左』箱
 ・黒樂茶碗 銘「霞」『表千家八代/啐啄斎件翁宗左』箱
 ・黒樂茶碗 銘「桔梗」
 ・黒樂茶碗 銘「善福寺」
 ・黒樂茶碗 銘「青山」
 ・黒樂茶碗 銘「此花」
 ・黒樂茶碗 銘「今枝」

◆ノンコウ後窯七種◆(『樂家初代/長次郎』の茶碗を写した物)
 ・黒樂茶碗 銘「貧僧」
 ・黒樂茶碗 銘「鉢の子」
 ・黒樂茶碗 銘「小黒」
 ・黒樂茶碗 銘「大黒」
 ・赤樂茶碗 銘「検校」
 ・赤樂茶碗 銘「早船」
 ・樂茶碗 銘「小雲雀」

ノンコウ
別名の【ノンコウ】とは通称であり『千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578-1658)』が伊勢参宮の途次、鈴鹿の能古茶屋で二重切竹花入を作り【ノムカウ】と銘付け【樂家三代/道入(ノンコウ)】に贈ったところ非常に気に入って常に座右に置いていたところから・・・。という説や当時流行の両鬢 を細く狭くとり、髷を高く結った「のんこ髷」を【樂家三代/道入(ノンコウ)】が人に先んじて結ったため・・・などその出所には諸説あるがいずれも判然としない。

享年
明暦二年(1656年) 二月二十三日没。享年五十八歳。

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  • 樂家三代樂道入(ノンコウ) [弟] 樂 道楽 ~らく・どうらく~
  • 生没年不詳
出自
『[父]楽家二代/楽常慶』の次男
『[長男]楽家三代/楽道入(ノンコウ)』の弟

[名]【忠右衛門】

事績
若い時、放蕩のために家を出て明暦二年(1656)、《和泉国(大阪府)/堺》で自ら窯を起こした。
また子がなかったため京都より『弥兵衛』を招き、後を継がせ【湊焼(本湊焼)】を開窯。

作風
赤楽を多く焼き、作行きは厚手で「赤釉」に緑色の斑紋が表れ「土見高台」である。
しかし現存する【道楽茶碗】は作行きが一定しておらず「印字体」にもかなりの違いが見られ判然としないところがある。

左書の字の【樂】の印を用いたと伝えられているが判然としていない。

享年
生没享年不詳。

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  • 樂家四代 樂 一入 ~らく・いちにゅう~
  • 寛永十七年(1640年) ― 元禄九年(1696年) 一月二十二日 / 五十七歳
出自
樂一入_花押
『[父]樂家三代/樂道入(ノンコウ)』の長男
[幼名]【佐兵衛】
[名]【吉兵衛】【吉左衛門】

師事
『[父]樂家三代/樂道入(ノンコウ)』
『本阿弥光甫(1601-1682)』

門下
『尾形乾山()』

事績
『[父]樂家三代/樂道入(ノンコウ)』につき陶法を会得し『本阿弥光甫(1601-1682)』の指導も得たといわれている。 元禄四年(1691年)剃髪して【一入】と称す。
在印や土見高台のものは少なく珍重されまた共箱も極めて少ない
備考
「朱釉」は【樂家四代/樂一入】の創作といわれているが『[父]樂家三代/樂道入(ノンコウ)』の晩年の作品にすでに用いられている。(例:千家伝来 黒樂茶碗 銘『稲妻』) しかし「朱釉」は黒地に緋色の美しい発色をみるもので【樂家四代/樂一入】の作品の特色をなすものである。
享年
元禄九年(1696年) 一月二十二日没。享年五十七歳。

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  • 玉水焼/初代 一元 ~いちげん~
  • 寛文二年(1662年) ― 享保七年(1722年) / 六十一歳
出自
『[父]樂家四代/樂一入』の庶子

[通称]【弥兵衛】

事績
十代後半までは【樂家】で育ったが元禄元年(1688年)に母と共に母の郷里である《玉水村(現在の京都府綴喜郡井出町)》に戻り【南樂家】と称して【玉水焼】を開窯し主に茶碗を制作。

その後【玉水焼】【玉水焼初代/一元】の血統が途絶えた後も幕末の頃まで続きましたが現在は閉窯となっています。

作風
【赤樂】【黒樂】ともに「光悦写し」または「光悦風」のものが多く優れた作風を示している。

しかし【玉水焼初代/一元】の茶碗は『[父]樂家四代/樂一入』の朱釉などの釉調を倣っており『[父]樂家四代/樂一入』の作品と混同されている例も少なくないがその作風には大きな歪みや力強い箆などがみられ『[父]樂家四代/樂一入』とは異なった趣が感じられます。

享年
享保七年(1722年)没。享年六十一歳。

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  • 樂家五代 樂 宗入 ~らく・そうにゅう~
  • 寛文四年(1664年) ― 享保元年(1716年) 九月三日 / 五十三歳
出自
樂宗入_花押
『[実父]雁金屋三右衛門』の子
『[義父]樂家四代/樂一入』の娘『妙通』の婿養子
『尾形光琳』の従弟
『尾形乾山』の従弟

[幼名]【平四郎】【惣吉】
[名]【吉左衛門】
[幼名]【宗入】【麁閑亭】

門下
『尾形乾山()』

事績
『[義父]樂家四代/樂一入』の娘『妙通』の婿養子となる。
『[実父]雁金屋三右衛門()』は『尾形宗謙(1621-1687)』の末弟であり【樂家五代/樂宗入】と『尾形光琳(1658-1716)』、『尾形乾山(1663-1743)』とは従兄弟にあたる。

元禄四年(1691年)二十七歳で『[義父]樂家四代/樂一入』の後を継ぎ【樂家五代/樂吉左衛門】を襲名。
宝永五年(1708年)四十五歳の時に剃髪隠居し『表千家五代/随流斎良休宗左(1650-1691)』の一字を授かり、【宗入】と号す。

作風
元禄時代を背景に『尾形光琳(1658-1716)』、『尾形乾山(1663-1743)』兄弟は琳派と呼ばれる装飾性豊かな絵画、陶芸様式を完成させましたが【樂家五代/樂宗入】は装飾性を排した長次郎茶碗の追求に自らの創作の基盤を求め独自な作風を築きあげている。

また一般に【カセ釉と称される【樂家五代/樂宗入】の「黒樂釉」は『樂家初代/樂長次郎』への傾倒を最も端的に表したものである。

印は無関心に捺された字体がはっきりしない【くずれ印】といわれるものがあるが無印も多い

代表作
【元禄十六年三月廿八日長次郎/五代吉左衛門】の彫銘のある《表千家/不審庵/残月亭》の【鬼瓦】が有名である。

備考
【宗入文書】を著している。

享年
享保元年(1716年) 九月三日没。享年五十三歳。

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  • 樂家六代 樂 左入 ~らく・さにゅう~
  • 貞享二年(1685年) ― 元文四年(1739年) 九月二十五日 / 五十五歳
出自
樂左入_花押
『[父]《京都/油小路》大和屋嘉兵衛』の次男
『[義父]樂家五代/樂宗入』の娘『妙修』の婿養子

[幼名]【惣吉】
[名]【吉左衛門】
[号]【左入】
[諱]【喜顕】

師事
『樂家四代/樂一入』
[茶]『表千家七代/如心斎天然宗左(1705-1751)』

事績
二十四歳の宝永五年(1708年)二月、先代『[義父]樂家五代/樂宗入』より【樂家】の家業を継ぎ【樂家六代/樂吉左衛門】を襲名。
享保十三年(1728年)四十四歳で剃髪隠居し、『表千家六代/覚々斎原叟宗左(1678-1730)』より【左】の一字を授かり【左入】と号す。

作風
他家から迎え入れられた【樂家六代/樂左入】【樂焼】の伝統様式を学ぶことからはじめ樂歴代や『本阿弥光悦(1558-1637)』、また他の陶芸の模作を数多く試みている。

またそれらの特色を【樂家六代/樂左入】は自らの作風に見事に取り入れ多才独自な作風を完成させている。

【黒樂】では『[義父]樂家五代/樂宗入』の【カセ釉】の名残が見られることもあり、【赤樂】は渋柿色の深みある艶っぽい釉薬のものと、【左入釉】といわれる赤地の上に白の水釉がかった香炉釉風で貫入のあるものとがある。

代表作
隠居後の享保十八年(1733年)に作成された赤黒二百碗の茶碗【左入二百】は特に茶人の間で珍重された。
また『樂家初代/樂長次郎』、『樂家三代/樂道入(ノンコウ)』、『本阿弥光悦(1558-1637)』などの写物には特に優れたものがある。

享年
元文四年(1739年) 九月二十五日没。享年五十五歳。

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  • 樂家七代 樂 長入 ~らく・ちょうにゅう~
  • 正徳四年(1714年) ― 明和七年(1770年) 九月五日 / 五十六歳
出自
樂長入_花押
『[父]樂家六代/樂左入』の長男

[幼名]【惣吉】
[名]【吉左衛門】
[号]【長入】
[諱]【栄清】

師事
『[父]樂家六代/樂左入』

事績
十五歳の享保十三年(1728年)に【樂家】の家督を継ぎ【樂家七代/樂吉左衛門】を襲名。
その後、宝暦十二年(1762年)剃髪隠居し、『樂家初代/樂長次郎』の一字をとって【長入】と号す。

作風
【樂家七代/樂長入】の茶碗はたっぷりと大振りでやや厚造りの作風により豊かな量感を感じさせ【黒樂茶碗】は光沢の強い漆黒の釉調を特色とし、【赤樂茶碗】【白土】【聚樂土】が用いられ白身の強い薄赤色から赤みの強い色まで、数種の釉調をもっている。

代表作
【樂家】の仏壇に祭られている【日蓮上人像】や種々の「香合」、「置物」など写実性に根ざした立体的な造形には秀でた才能がうかがえる。
※『表千家七代/如心斎天然宗左(1705-1751)』の御好である【玉の絵黒茶碗】は新春ごとの献納用とも伝えられ如心斎社中の依頼による【松銘の茶碗】も有名である。

享年
明和七年(1770年) 九月五日没。享年五十六歳。

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  • 樂家八代 樂 得入 ~らく・とくにゅう~
  • 延享二年(1745年) ― 安永三年(1774年) 十一月十日 / 三十歳
出自
樂得入_花押
『[父]樂家七代/樂長入』の長男

[幼名]【惣吉】
[名]【吉左衛門】【佐兵衛】
[諱]【喜制】
[法号]【長好】
[諡号]【得入】

師事
『[父]樂家七代/樂長入』

事績
『[父]樂家七代/樂長入』の隠居に伴い十八歳の宝暦十二年(1762年)に【樂家八代/樂吉左衛門】を襲名するが病弱のため明和七年(1770年)に『[父]樂家七代/樂長入』が亡くなった時、【樂家】の家督を弟『惣治郎(後の『樂家九代/樂了入』)』に譲り、自身は剃髪隠居して名を【佐兵衛】と改め、その後も作陶は続けるが三十歳の若さで早世。

また【樂家八代/樂得入】の法号は【樂家八代/樂得入】没後の寛政十年(1798年)二十五回忌の際に贈られたものである。

作風
【樂家八代/樂得入】は若くして病死したためその作品は歴代の中で最も少なくほとんどの作品は代を弟『惣治郎(後の『樂家九代/樂了入』)』に譲る二十五歳前後の若作である。

『[父]樂家七代/樂長入』の作行きの影響がうかがわれるものの茶碗としてはすでに充分な完成度を見せている。
その魅力は伝統的な【樂茶碗】の様式に従いながらそこに見られるいかにも若者らしい初々しさにあり特に素直で愛らしい趣の【赤樂茶碗】には心打つものがある。

印は【白樂印】を使用。

享年
安永三年(1774年) 十一月十日没。享年三十歳。

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  • 樂家九代 樂 了入 ~らく・りょうにゅう~
  • 宝暦六年(1756年) ― 天保五年(1834年) 九月十七日 / 七十九歳
出自
樂了入_花押
『[父]樂家七代/樂長入』の次男
『[長男]樂家八代/樂得入』の弟
『[次男]楽家十代/楽旦入』の父

[幼名]【惣次郎】
[名]【吉左衛門】
[諱]【喜全】
[号]【秀人】【雪馬】【了入】【翫土軒】

師事
『[父]樂家七代/樂長入』

事績
『樂家三代/樂道入(ノンコウ)』以来の名工とされ樂家中興の名工と称される。
【樂家九代/樂了入】は兄である『[長男]樂家八代/樂得入』が病弱により二十五歳で隠居したため十四歳の明和七年(1770年)に【樂家】の家業を継ぎ【喜全】と号し【樂家九代/樂吉左衛門】を襲名。

のちの文化八年(1811年)『表千家九代/了々斎曠叔宗左(1775-1825)』より【了】の一字を贈られ【了入】と称した。
文政八年(1825年)に《近江国/石山》に隠棲し、悠々自適の生涯を送った。

作風
【樂家九代/樂了入】の六十五年に渡る長い作陶生活は極めて旺盛であり、特に隠居後の自由闊達な作行きは【樂家九代/樂了入】の心を表しており歳を重ねて到達した境地であるといえる。

【手捏ね技法】における【箆削り】を強調し、箆使いに秀でたことも【樂家九代/樂了入】の特長であり、【赤釉】は鮮明で【黒釉】はことに艶があり、【掛分け】【樂家九代/樂了入】の創意とされている。

縦横、あるいは斜めに潔く削り込まれた【樂家九代/樂了入】の箆は造形的であると共に装飾的でもあり近代の【樂茶碗】への影響も計り知れない。

代表作
『表千家九代/了々斎曠叔宗左(1775-1825)』御好みの【鳳凰風炉】の試作も【樂家九代/樂了入】が行っている。

使用印は下記の通り大きく3つに分けることができる。
1.十五歳から三十三歳の「天明の大火(1788)」までの【火前印】
2.「天明の大火(1788)」後から五十六歳の剃髪まで【中印】
3.没するまでの二十三年間に使用した【樂】の字の草書の印【草樂印】
4.その他に樂焼中興の名工と称せられ『樂家三代/樂道入(ノンコウ)』の作風を倣い【翫土老人】の印もある。

参考
※六十三歳の時、『表千家九代/了々斎曠叔宗左(1775-1825)』より【翫土軒】の扁額を与えられる。
※文政二年(1819年)、『[次男]樂家十代/樂旦入』と共に紀州徳川家の【御庭焼】に従う。
【樂茶碗】の代表的な数印の茶碗も【樂家九代/樂了入】によりはじまると伝えられているが実際には『樂家三代/樂道入(ノンコウ)』の織部釉茶碗にすでにある。

享年
天保五年(1834年) 九月十七日没。享年七十九歳。

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  • 樂家十代 樂 旦入 ~らく・たんにゅう~
  • 寛政七年(1795年) ― 安政元年(1854年) 十二月二十四日 / 五十九歳
出自
樂旦入_花押
『[父]樂家九代/樂了入』の次男

[幼名]【市三郎】【惣治郎】
[名]【吉左衛門】
[諱]【喜愷】
[号]【秀人】【旦入】

師事
『[父]樂家九代/樂了入』

事績
兄の早世により十七歳の文化八年(1811年)に先代の『[父]樂家九代/樂了入』の隠居に際し、【樂家】の家督を継ぎ【樂家十代/樂吉左衛門】を襲名。

文政二年(1819年)、『[父]樂家九代/樂了入』に従い、『表千家九代/了々斎曠叔宗左(1775-1825)』と共に『紀州/徳川家』」に伺候。

『紀州/徳川家十代藩主/徳川治宝(1771-1853)』候の御庭焼【偕樂園窯】に従事し、文政九年(1826年)同候から同候筆の隷書【樂】の字を拝領、これを大小の【拝領印】とした。(偕樂園窯従事の記録『旦入日記』がのこっている)

また『紀州/徳川家十代藩主/徳川家順(1824-1846)』候の【湊御殿清寧軒窯】にも従事し【清寧】の印を使用する。

その後、弘化二年(1845年)剃髪隠居、『表千家十代/吸江斎祥翁宗左(1818-1860)』から『千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578-1658)』の【旦】一字を贈られ【旦入】と号す。

作風
全体的には小振りで、父『樂家九代/樂了入』の【箆削り】を主体とし茶碗の各所を引き立たせる箆は多彩を極め、箆削りの技巧的な作品が多くまた窯変による鮮やかな変化を見せる【赤樂茶碗】には特徴がある。

また「織部焼」、「伊賀焼」、「瀬戸焼」などの作風や意匠を取り入れ、技巧的で華やかとされている。

使用した【樂】の印は五種あり
1.『紀州/徳川家十代藩主/徳川治宝(1771-1853)』候より拝領した【隷書印(大小)】
2.『表千家十代/吸江斎祥翁宗左(1818-1860)』より送られたの【行書樂字印】
3.【木樂印(樂の字の下部の木が正しい木の字)】
4.『大徳寺/玉林院/四百四十七世/拙叟宗益(1776-1859)』和尚の【行書字(隠居判)】
5.『樂家十代/樂旦入』の【角印】

享年
安政元年(1854年) 十二月二十四日没。享年五十九歳。

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  • 樂家十一代 樂 慶入 ~らく・けいにゅう~
  • 文化十四年(1817年) ― 明治三十五年(1902年) 一月三日 / 八十六歳
出自
樂慶入_花押
『[父]丹波国/南桑田郡千歳村(現京都府亀岡市千歳町)/酒造業/小川直八』の三男
『[義父]樂家十代/樂旦入』の娘「『妙國』」の婿養子

[幼名]【惣吉】
[名]【吉左衛門】
[諱]【喜貫】
[号]【雲亭】【慶入】

師事
『[義父]樂家十代/樂旦入』
『表千家十一代/碌々斎瑞翁宗左(1837-1910)』

事績
文政十年(1827年)『[義父]樂家十代/樂旦入』の娘『妙國』の婿養子となり、弘化二年(1845年)に【樂家】の家督を継ぎ【樂家十一代/樂吉左衛門】を襲名。
その後、明治四年(1871年)剃髪隠居して【慶入】と号す。

【樂家十一代/樂慶入】の時代は「徳川幕府封建制」から明治近代制への以降の頃、西洋文化の移入の時代でもあり、茶の湯をはじめ伝統文化の廃れた時代でもありました。

そのような逆境の中で【樂家十一代/樂慶入】は七十五年にもおよぶ長い作陶生活を送り茶碗以外にも茶器類また置物など歴代の中で最も多様な作域を示しています。

明治維新後、茶道低迷期の中、旧大名家の『華族』に作品を納めるなど【樂家】の家業維持に貢献。

作風
『樂家三代/樂道入(ノンコウ)』を慕い【礦石釉】【紺青釉】を用いたり【掛分茶碗】なども作成。
技巧にも優れ教養に裏づけされた豊かな作品を残している。

使用印は三期に類別される
1.『大徳寺/四百三十五世/大綱宗彦(1772-1860)』の筆による【蜘蛛巣印(前印)】(※『[義父]樂家十代/樂旦入』在世中)。
2.『菫其昌(1555-1636)』の法帖から行書体の【樂印(中印)】
3.明治四年(1871年)剃髪後の【白樂印】【隠居判】とよばれる【皐の字印】

*その他に《京都/西本願寺》の「御庭窯/露山焼」を《山科》にはじめ『大谷光尊上人(1850-1903)』から【雲亭】の印を受けている。

享年
明治三十五年(1902年) 一月三日没。享年八十六歳。

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  • 樂家十二代 樂 弘入 ~らく・こうにゅう~
  • 安政四年(1857年) ― 昭和七年(1932年) 九月二十四日 / 七十六歳
出自
樂弘入_花押
『[父]樂家十一代/樂慶入』の長男

[幼名]【小三郎】【惣治郎】
[名]【吉左衛門】
[諱]【喜長】
[号]【弘入】【雪馬】【翫土軒】

師事
『[父]樂家十一代/樂慶入』
『表千家十一代/碌々斎瑞翁宗左(1837-1910)』

事績
十五歳の明治四年(1871年)に【樂家】の家督を継ぎ【樂家十二代/樂吉左衛門】を襲名。

当時は幕末明治の政治の変革期であったため茶道をはじめ伝統文化の衰退した時代であったため『[父]樂家十一代/樂慶入』と共に苦労の日々を重ね、若いときの作品は少なく、晩年になって多数の作品を制作する。

大正八年(1919年)、剃髪隠居し【弘入】と称し【翫土軒】と号す。

以後、京都本邸と『樂家九代/樂了入』の別荘であった《滋賀県/石山》を往復し、「茶湯」、「俳諧」に老後を送り優雅な晩年を送る。

辞世の句
「土いぢり七十六年秋暮るる」
の辞世の句を残している。

作風
【樂家十二代/樂弘入】が実際に世に作品を出すのは二十五歳頃からであり生涯に渡り大きな作風の変化は無く茶碗には丸みをもった温和なものが多く、独特の装飾的な【箆使い】が見られ【黒樂】【二重幕釉】を得意とした。
【赤樂釉】の色調は変化に富みとりわけ【窯変】【火替わり】による明暗の変化が非常に美しい。

印は
【楽】の字の【幺】が数字の【8】に見える大小の【8の字印】

※『紀州徳川家/徳川頼倫()』候筆の【樂の字印】
※『伏見宮貞愛王()』からの【拝領印】
※西本願寺用の繭形に【澆花の印】
※『表千家十一代/碌々斎瑞翁宗左(1837-1910)』筆の草書【樂の字印】
【十二代喜長の角印】

代表作
明治三年(1890年)には『長次郎三百回忌』の法要を営み記念の【赤樂茶碗/二百碗】の連作をしている。

享年
昭和七年(1932年) 九月二十四日没。七十六歳。

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  • 樂家十三代 樂 惺入 ~らく・せいにゅう~
  • 明治二十年(1887年) ― 昭和十九年(1944年) 三月八日 / 五十八歳
出自
樂惺入_花押
『[父]樂家十二代/樂弘入』の長男

[幼名]【惣吉】
[名]【吉左衛門】
[諱]【喜英】
[号]【双橘】【翫土軒】
[諡号]【惺入】

師事
『[父]樂家十二代/樂弘入』
[詩文]『寺西乾山()』

事績
大正八年(1919年)、『[父]樂家十二代/樂弘入』隠居に伴い三十二歳で【樂家】の家督を継承し【樂家十三代/樂吉左衛門】を襲名。

茶道研究誌【茶道せゝらぎ】を発刊するなど茶道文化の啓蒙に尽力したが相次ぐ戦争の時代を生きた五十七年の生涯は決して恵まれた環境とはいえず、辛苦の日々であった。

晩年には太平洋戦争が勃発、跡継ぎである『長男(次代『樂家十四代/樂覚入』)』も応召、研究も作陶も物資不足の中困難となり、閉塞する中、没した。

作風
伝統的な【樂茶碗】のスタイルに沿ったもので、困難な時代にあった樂焼の伝統を守り伝えようとした真面目な生き方がそのまま現れているようである。
【釉薬】の研究なども熱心におこない、様々な【鉱石】を採取し【釉薬】に使用するなど新しい試みを盛んにおこなっている。

印は
【樂】の右側の【幺】【彡】となっている【草書印】
【十三代喜英の角印】

享年
昭和十九年(1944年) 三月八日没。享年五十八歳。

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  • 樂家十四代 樂 覚入 ~らく・かくにゅう~
  • 大正七年(1918年) ― 昭和五十五年(1980年) 五月六日 / 六十二歳
出自
樂覚入_花押
『[父]樂家十三代/樂惺入』の長男

[名]【喜慶】【吉左衛門】
[諡号]【覚入】

師事
『[父]樂家十三代/樂惺入』

事績
昭和十五年(1940年)、《東京美術学校(現東京芸術大学)/彫刻科》を卒業後、第二次世界大戦に応召され従軍。
昭和二十年(1945年)終戦を迎え戦地より生還するも前年に『[父]樂家十三代/樂惺入』が死去。
【樂家】の家督を継承し【樂家十四代/樂吉左衛門】を襲名。

その後、好景気の昭和三十五年(1960年)以降作品が充実するようになる。

作風
《東京美術学校(現東京芸術大学)/彫刻科》において近代芸術の基礎を学んだ【樂家十四代/樂覚入】の茶碗はこれまでの歴代の作行とは一線を画し【彫刻】の理論を活かし他代には見られない新たな造形世界を確立している。

特に立体に沿った的確な削りには構築的な力強さが感じられ、また晩年の【赤樂茶碗】には【窯変】【火替わり】によるモダンな【釉景色】が見られる。
【樂家十四代/樂覚入】の作風の特長は伝統様式に現代性を融合させようとした【モダン性】にあるといえます。

参考
※昭和五十一年(1976年)【財団法人/樂美術館】を設立。【樂家】に伝来した数々の歴代作品や資料のすべてを寄贈し、昭和五十三年(1978年) 十月に一般に公開。
※昭和五十三年(1978年)文化庁より【無形文化財】指定。

享年
昭和五十五年(1980年) 五月六日没。享年六十二歳。

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  • 樂家十五代 [当代] 樂 吉左衛門 ~らく・きちざえもん~
  • 昭和二十四年(1949年) 三月二十六日 ― 年(年) / 歳
出自
樂吉左衛門_花押
『樂家十四代/樂覚入』の長男

[名]【光博】

事績
昭和四十八年(1973年)、《東京芸術大学/彫刻科》卒業と同時に、約2年間《イタリア/ローマ》のアカデミアに留学。

昭和五十五年(1980年)、先代の『[父]樂家十四代/樂覚入』の没後、翌年昭和五十六年(1981年)11月に【樂家】の家督を継承し【樂家十五代/樂吉左衛門】を襲名。

平成十二年(2000年)「フランス芸術/文化勲章シュヴァリエ」、平成十三年(2001年)「京都府文化功労賞」など日本をはじめ世界の各賞を数多く受賞。

個展/展示会
昭和六十年(1985年)には「現代茶陶 樂吉左衛門(茶道資料館)」をはじめ平成二年(1990年)の「天問」などの個展を開催。

また平成九年(1997年)には【樂焼】を海外に初めて紹介する「RAKU A Dynasty of Japanese Ceramists」展をヨーロッパで開催。

平成十二年(2000年)には「樂歴代と十五代吉左衛門」展を《香雪美術館》で開催。

作風
【樂家十五代/樂吉左衛門】の造形は【樂家】の伝統に根ざしながらも現代性へと大きく踏み出し、特に【焼貫】の技法を駆使し大胆な【箆削り】による彫刻的ともいえる前衛的な作風が特徴である。

参考
【樂家】の伝統を継承しつつ現代陶芸作家として日本はもとより海外でもその優れた作家活動が注目されており作品は《東京国立近代美術館》、《ヴィクトリア&アルバート美術館》などに【永久コレクション】されている。
※平成十九年(2007年)《滋賀県/守山市》の《佐川美術館》に【吉左衛門館】が新設。館ならびに茶室を設計。

息子
二人の息子、『[長男]樂家次代/樂吉左衛門』、『[次男]樂雅臣』がおり、平成二十八年(2016年)、《滋賀県/佐川美術館》にて『[長男]樂家次代/樂吉左衛門』、『[次男]樂雅臣』とともに「初めての、そして最後の親子展(4月16日(土)~8月28日(日))」を開催。

享年

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  • 樂家次代 楽 篤人 ~らく・あつんど~
  • 昭和五十八年(1983年) 十月二十九日 ― 年(年) / 歳
出自
『[父]樂家十五代/樂吉左衛門』の長男
『[次男]樂雅臣』の兄

[名]【篤人】

事績
平成二十八年(2016年)《滋賀県/佐川美術館》にて『[父]樂家十五代/樂吉左衛門』、『[弟]樂雅臣』とともに「初めての、そして最後の親子展(4月16日(土)~8月28日(日))」を開催
享年

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  • 十五代[当代]樂吉左衛門 [次男] 樂 雅臣 ~らく・まさおみ~
  • 昭和五十八年(1983年) ― 年(年) / 歳
出自
『[父]樂家十五代/樂吉左衛門』の次男
『[長男]樂家次代/樂吉左衛門』の弟

[名]【雅臣】

事績
平成二十八年(2016年)《滋賀県/佐川美術館》にて『[父]樂家十五代/樂吉左衛門』、『[長男]樂家次代/樂吉左衛門(篤人)』とともに「初めての、そして最後の親子展(4月16日(土)~8月28日(日))」を開催

享年

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