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代 |
名/生没享年 |
初代 |
宗源 ~そうげん~
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二代 |
宗慶 ~そうけい~
寛永五年(1628年) ― 元禄六年(1693年) 九月三日 / 六十六歳 |
三代 |
長慶 ~ちょうけい~
生年不詳 ― 貞享三年(1686年) 十二月 / 享年不詳 |
四代 |
駒澤 利斎 ~こまざわ・りさい~
延宝元年(1673年) ― 延享三年(1746年) 七月二日 / 七十四歳 |
四代 |
駒澤 利斎 ~こまざわ・りさい~
延宝元年(1673年) ― 延享三年(1746年) 七月二日 / 七十四歳 |
五代 |
駒澤 利斎 ~こまざわ・りさい~
宝永四年(1707年) ― 明和元年(1764年) 二月二十八日 / 五十八歳 |
六代 |
駒澤 利斎 [春斎] ~こまざわ・りさい~ [しゅんさい]
元文四年(1739年) ― 享和三年(1803年) 正月 / 六十五歳 |
七代 |
駒澤 利斎 [春斎] ~こまざわ・りさい~ [しゅんさい]
明和七年(1770年) ― 安政二年(1855年) 五月 / 八十六歳 |
八代 |
駒澤 利斎 ~こまざわ・りさい~
寛政八年(1796年) ― 弘化三年(1846年) 九月 / 五十歳 |
九代 |
駒澤 利斎 ~こまざわ・りさい~
文政二年(1819年) ― 文久二年(1862年) 十二月 / 四十四歳 |
十代 |
駒澤 利斎 ~こまざわ・りさい~
天保十二年(1841年) ― 慶応二年(1866年) 九月 / 二十六歳 |
十一代 |
駒澤 利斎 ~こまざわ・りさい~
嘉永三年(1852年) ― 明治三十五年(1902年) 九月 / 五十一歳 |
十二代 |
駒澤 利斎 ~こまざわ・りさい~
明治九年(1876年) ― 明治二十九年(1896年) / 二十一歳 |
十三代 |
駒澤 利斎 ~こまざわ・りさい~
明治十六年(1883年) ― 昭和二十七年(1952年) 八月 / 七十歳 |
十四代 |
駒澤 尼利斎 ~こまざわ・あまりさい~
明治四十二年(1909年) ― 昭和五十二年(1977年) 六月 / 六十九歳 |
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【駒澤家後見人/十四代駒澤利斎 [甥]】 吉田 一三 ~よしだ・~
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次代 |
【後見人吉田一三 [子]】 吉田 博三 ~よしだ・~
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【駒澤家】は「表千家」の近くの《小川通寺ノ内下ル射場町》に居を構え、延宝年間(1673年-1681年)以来、代々【指物】を業として「木地台子」、「長板」、「棚物」、「卓」、「木地水指」、「文庫硯蓋」、「茶箱」、「炭台」、「行灯」、「炉縁」、「菓子器」、「莨盆」など「茶の湯」に関わる多種多様な木地道具を制作している。
安永九年(1780年)刊行の『茶器価録』上巻には前述の他にも桑や竹の「台子」、「利休形四方棚」、「袋棚」、「丸卓」をはじめ「曲水指」、「屏風」など九十七点が記載されており、また『表千家九代/了々斎曠叔宗左(1775-1825)』の時代に書かれた記録に【指物師利斎】の道具百六十六点が値段と共に記載されておりその種類の豊富さに驚かされる。
これらの道具は「利休形」を基本とし「千家」と密接な関係を持ちながら歴代の家元の「好み物」が作られており、それに必要な寸法・材質・デザインなどの資料は代々【駒澤家】に受継がれて今日に至っている。
【駒澤家】の歴史については従来、最初に【利斎】を名乗った時を『初代』とし、以降は【利斎】何代と数え、【利斎】以前は家祖である【宗源】・【宗慶】・【長慶】の三代を置いて考えられてきた。
一方で数寄者『草間直方(1753-1831)』の「茶器名物図 」によると「指物師利斎家系之事」の条に「千家出入職、正徳、享保年覚々斎取立破申」とあり、正徳年間(1711-1716)から享保年間(1716-1736)にかけて『表千家六代/覚々斎原叟宗左(1678-1730)』に取り立てられて千家職方になったとされているが【宗慶】を【初代利兵衛】、【理右衛門】を【二代利斎】と記していて混乱が見られる。
(※従来は【理右衛門】を以って【初代/利斎】としてきた。)
しかし近年【駒澤家】では歴代についての考え方を過去帳にのっとり整理されている。
- 駒澤家初代 駒澤 宗源 ~こまざわ・そうげん~
- 生没享年不詳
- 出自
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- 名
-
[名]【宗源】
[通称]【理右衛門】
- 事績
-
延宝年間(1673年-1681年)頃に【指物師】を業としたと伝えられている。
- 享年
-
延宝年間没。享年不詳
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- 駒澤家二代 駒澤 宗慶 ~こまざわ・そうけい~
- 寛永五年(1628年) ― 元禄六年(1693年) 九月三日 / 六十六歳
- 出自
-
- 名
-
[名]【宗慶】
[通称]【理右衛門】
- 事績
-
- 享年
-
元禄六年(1693年) 九月三日没。享年六十六歳。
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- 駒澤家三代 駒澤 長慶 ~こまざわ・ちょうけい~
- 生年不詳 ― 貞享三年(1686年) 十二月 / 享年不詳
- 出自
-
- 名
-
[名]【長慶】
[通称]【理右衛門】【利兵衛】
- 事績
-
『千家三代/咄々斎元伯宗旦』の指図を受けて千家の【指物】を制作したと伝えるが詳細は不明。
『駒沢家二代/宗慶』に先立って没する。
- 享年
-
貞享三年(1686年) 十二月没。享年不詳。
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- 駒澤家四代 駒澤 利斎 ~こまざわ・りさい~
- 延宝元年(1673年) ― 延享三年(1746年) 七月二日 / 七十四歳
- 出自
-
『[義父]駒沢家三代/長慶』の婿養子
- 名
-
[通称]【理右衛門】
- 事績
-
【指物】の業を継ぎ名工として知られる。
『表千家六代/覚々斎原叟宗左(1678-1730)』に引き立てられ、「千家」出入りの「茶方指物師」となり【駒澤家】を【指物師】として確立させる。
『表千家六代/覚々斎原叟宗左(1678-1730)』より【利斎】の名を与えられ、剃髪後に【駒沢家四代/駒澤利斎】を名乗った。
また【駒沢家四代/駒澤利斎】以後の【駒澤家】では代々【利斎】の名を襲名することとなる。
『駒沢家初代/宗源』、『駒澤家二代/宗慶』、『[義父]駒澤三代/長慶』の歴代の墓所を《京都千本/頭十二坊》より、近くの《妙顕寺》に移し「日蓮宗」に改宗。
- 辞世の句
-
「即物の細工はこヽぞかねてより あてを枕にさいづちの音」の句を残している。
*「あて」=仕事台のあて盤
*「さいづち」=小槌
- 享年
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延享三年(1746年) 七月二日没。享年七十四歳。
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- 駒澤家五代 駒澤 利斎 ~こまざわ・りさい~
- 宝永四年(1707年) ― 明和元年(1764年) 二月二十八日 / 五十八歳
- 出自
-
『[父]駒沢家四代/駒澤利斎』の子
- 名
-
[名]【利右衛門】
- 事績
-
三千家に出入りして家業を盛りたて、『表千家七代/如心斎天然宗左(1705-1751)』より【リ斎】の書を与えられる。
以後【駒澤家】では小判型の【駒澤家】の印判を家紋の【梅鉢紋】とともに箱書に使用するならいとなる。
享保十八年(1733年)正月に『楽家六代/楽左入(1685-1739)』が赤黒二百の楽茶碗をつくり『表千家七代/如心斎天然宗左(1705-1751)』が銘名した「左入二百茶碗」の箱にも【り】の印が捺されている。
- 享年
-
明和元年(1764年) 二月二十八日没。享年五十八歳。
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- 駒澤家六代 駒澤 利斎 ~こまざわ・りさい~ [号] 春斎
- 元文四年(1739年) ― 享和三年(1803年) 正月 / 六十五歳
- 出自
-
『[父]駒沢家五代/駒澤利斎』の長男
- 名
-
[名]【利右衛門】
- 事績
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天明八年(1788年)、【駒沢家六代/駒澤利斎】五十歳の正月に「天明の大火」に遭い、【駒澤家】も罹災。
隠居後は【春斎】の号で塗物も手がけた。
- 享年
-
享和三年(1803年) 正月没。享年六十五歳。
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- 駒澤家七代 駒澤 利斎 ~こまざわ・りさい~ [号] 春斎・少斎
- 明和七年(1770年) ― 安政二年(1855年) 五月 / 八十六歳
- 出自
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『[義父]駒沢家六代/駒澤利斎』の娘の婿養子
- 名
-
[呼名]【茂兵衛】
[通称]【信邦】
[名]【利斎】
[亭号]【曲尺亭】
- 事績
-
『[義父]駒沢家六代/駒澤利斎』の実子である『[義兄]十次郎』が寛政十年(1798年)三十二歳の若さで亡くなったため『[義父]駒沢家六代/駒澤利斎』の娘の婿養子に入り、『表千家八代/啐啄斎件翁宗左(1744-1808)』、『表千家九代/了々斎曠叔宗左(1775-1825)』、『表千家十代/吸江斎祥翁宗左(1818-1860)』の三代に出仕し、優れた技量と世才で特に『表千家九代/了々斎曠叔宗左(1775-1825)』に重用され、暖簾の染筆『御茶器 さしもの師 駒沢利斎』を賜り、また【曲尺亭】の号を授かるなど家運を盛り上げた。
天保十年(1839年)に《京都/大徳寺》で行われた「施餓鬼」では『大西家十代/大西浄雪』の日記によると出入方の最長老として筆頭に【駒沢家七代/駒澤利斎】があげられておりその勢いの程がうかがえる。
翌年の天保十一年(1840年)には古希を迎え、隠居の際は『表千家十代/吸江斎祥翁宗左(1818-1860)』より【少斎】の号を授かっている。
また先代『[義父]駒沢家六代/駒澤利斎』と同じく【春斎】の号を以て、塗物も手がけ『裏千家十一代/玄々斎精中宗室(1810-1877)』の「御好物」の作品や『黒田家八代/黒田正玄』、『飛来家十一代/飛来一閑』らとの合作も残している。
- 狂歌
-
文化八年(1811年)剃髪して【駒沢家七代/駒澤利斎】を名乗ったとき「厄病のかみをおろして今日よりは心すゝしく利斎円満」と狂歌を詠んでいる。
- 享年
-
安政二年(1855年) 五月没。享年八十六歳。
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- 駒澤家八代 駒澤 利斎 ~こまざわ・りさい~
- 寛政八年(1796年) ― 弘化三年(1846年) 九月 / 五十歳
- 出自
-
『[祖父]駒沢家六代/駒澤利斎』の実子『[父]十次郎』の長男
- 名
-
[幼名]【十次郎】
[名]【理右衛門】【利斎】
- 事績
-
『[祖父]駒沢家六代/駒澤利斎』の実子『[父]十次郎』が三十二歳の若さで亡くなる二年前に設けた子。
『[従弟]駒沢家七代/駒澤利斎』が隠居した、天保十一年(1840年)四十五歳の時剃髪して【駒澤家】の家督を継承し【駒沢家八代/駒澤利斎】を襲名するがわずか六年で先代【駒沢家七代/駒澤利斎】より先に没す。
- 享年
-
弘化三年(1846年) 九月没。享年五十歳。
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- 駒澤家九代 駒澤 利斎 ~こまざわ・りさい~
- 文政二年(1819年) ― 文久二年(1862年) 十二月 / 四十四歳
- 出自
-
『[父]駒沢家七代/駒澤利斎』の子
- 名
-
[幼名]【十次郎】【寿次郎】
[名]【理右衛門】【利斎】
- 事績
-
『[従弟]駒沢家八代/駒澤利斎』の子『重次郎』が若年のため、【駒澤家】の家督を継承し【駒沢家九代/駒澤利斎】を襲名。
- 享年
-
文久二年(1862年) 十二月没。享年四十四歳。
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- 駒澤家十代 駒澤 利斎 ~こまざわ・りさい~
- 天保十二年(1841年) ― 慶応二年(1866年) 九月 / 二十六歳
- 出自
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『[父]駒沢家八代/駒澤利斎』の長男
- 名
-
[幼名]【重次郎】
[名]【理右衛門】
[諡]【利斎】
- 事績
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『[従弟]駒沢家九代/駒澤利斎』の没した文久二年(1862年)に【駒澤家】の家督を継承し、【駒沢家十代/駒澤利斎】を襲名。
しかし生来病弱のため二十六歳という若さで早世。
- 享年
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慶応二年(1866年) 九月没。享年二十六歳。
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- 駒澤家十一代 駒澤 利斎 ~こまざわ・りさい~
- 嘉永三年(1852年) ― 明治三十五年(1902年) 九月 / 五十一歳
- 出自
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『[父]駒澤家後見人/岡本喜助』の息子
『[養父]駒沢家十代/駒澤利斎』の娘の婿養子
- 名
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- 事績
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『[義父]駒沢家十代/駒澤利斎』夭折後、『駒沢家九代/駒澤利斎』の弟子であった『[父]岡本嘉助(生没享年不詳)』が後見人として家職を続けていたが明治元年(1868年)に没したため『[父]岡本嘉助(生没享年不詳)』の息子が『[養父]駒沢家十代/駒澤利斎』の娘婿となり【駒澤家】の家屋を継承し、【駒沢家十一代/駒澤利斎】を襲名。
【駒澤家】歴代中もっとも「茶の湯」に親しみ交際の広い人であったという。
また画家の『富岡鉄斎(1837-1924)』との親交が知られ『富岡鉄斎(1837-1924)』が【駒沢家十一代/駒澤利斎】に宛てた手紙が残されている。
- 辞世の句
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「寸法の限りある我命 取柄たりもあわれなりけり」の句を残している。
- 享年
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明治三十五年(1902年) 九月没。享年五十一歳。
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- 駒澤家十二代 駒澤 利斎 ~こまざわ・りさい~
- 明治九年(1876年) ― 明治二十九年(1896年) / 二十一歳
- 出自
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『[父]駒沢家十一代/駒澤利斎』の長男
『[次男]駒沢家十二代/駒澤利斎』の兄
- 名
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[名]【利三郎】
[諡]【利斎】
- 事績
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早くから「千家」に出仕していたが『[父]駒沢家十一代/駒澤利斎』に先立って二十一歳の若さで早世。
- 享年
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明治二十九年(1896年)没。享年二十一歳。
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- 駒澤家十三代 駒澤 利斎 ~こまざわ・りさい~
- 明治十六年(1883年) ― 昭和二十七年(1952年) 八月 / 七十歳
- 出自
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『[父]駒沢家十一代/駒澤利斎』の次男
『[長男]駒沢家十二代/駒澤利斎』の弟
- 名
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[幼名]【重次郎】
[名]【利斎】
- 事績
-
明治三十六年(1903年)、【重次郎】が二十歳の時に【駒澤家】の家督を継承し【駒澤家十三代/駒澤利斎】を襲名。
明治・大正・昭和と五十年に渡り【駒澤家】を守ったが妻『浪江』と娘『千代子』を遺し七十歳で世を去った。
- 享年
-
昭和二十七年(1952年) 八月没。享年七十歳。
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- 駒澤家十四代 駒澤 尼利斎 ~こまざわ・あまりさい~
- 明治四十二年(1909年) ― 昭和五十二年(1977年) 六月 / 六十九歳
- 出自
-
『[夫]駒澤家十三代/駒澤利斎』の妻
- 名
-
[名]【浪江】【利斎】
- 事績
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『[夫]駒澤家十三代/駒澤利斎』没後【駒澤家】の家職を継承。
長男は生まれた翌年亡くなり、娘『千代子』は二十歳で没したため四十四歳から【駒澤家十四代/駒澤利斎】を襲名。
以後二十五年間【駒澤家】を守り抜く。
- 享年
-
昭和五十二年(1977年) 六月没。享年六十九歳。
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- 駒澤家後見人 吉田 一三 ~よしだ・~
- 年(年) ― 年(年) / 歳
- 出自
-
『[叔母]駒沢家十四代/駒澤利斎』の甥
- 名
-
- 事績
-
『[叔母]駒沢家十四代/駒澤利斎』の甥にあたる【吉田一三】が【駒澤家】の後見として家業を守り、その息子『吉田博三』が代々培ってきた伝統ある【指物師】の仕事を守るために修行に励み次代『駒澤家十五代/駒澤利斎』の継承を目指している。
- 享年
-
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- 駒澤家次代 吉田 博三 ~よしだ・~
- 年(年) ― 年(年) / 歳
- 出自
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『[父]駒沢家後見人/吉田一三』の子
- 名
-
- 事績
-
『[叔母]駒沢家十四代/駒澤利斎』の甥にあたる『[父]吉田一三』が【駒澤家】の後見として家業を守り、その息子【指物師】【吉田博三】が代々培ってきた伝統ある【指物師】の仕事を守るために修行に励み次代【駒澤家十五代/駒澤利斎】の継承を目指している。
- 享年
-
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