全国の茶道関連業者が集まる茶道総合サイト和伝.com

千家十職 一閑張細工師 飛来一閑

TOP > 千家十職 > 飛来 一閑

  • ◆ 飛来家歴代 ◆
名/生没享年
初代
 飛来 一閑  ~ひき・いっかん~
萬暦六年(1578年) ― 明暦三年(1657年) 十一月二十一日 / 八十歳  
 【初代飛来一閑 [長女]】 
 岸田 ゆき  ~きしだ・ゆき~
生年不詳 ― 天正十七年(1590年) 年日 / 享年不詳  
二代
 飛来 一閑  ~ひき・いっかん~
生年不詳 ― 天和三年(1683年) 五月三日 / 享年不詳  
三代
 飛来 一閑  ~ひき・いっかん~
生年不詳 ― 正徳五年(1715年) 五月八日 / 享年不詳  
四代
 飛来 一閑  ~ひき・いっかん~
生年不詳 ― 享保十八年(1733年) 七月九日 / 享年不詳  
五代
 飛来 一閑  ~ひき・いっかん~
生年不詳 ― 寛保元年(1741年) 十一月五日 / 享年不詳  
六代
 飛来 一閑  ~ひき・いっかん~
生年不詳 ― 延享三年(1746年) 十二月十四日 / 享年不詳  
七代
 飛来 一閑  ~ひき・いっかん~
生年不詳 ― 寛延三年(1750年) 八月十六日 / 享年不詳  
八代
 飛来 一閑  ~ひき・いっかん~
生年不詳 ― 宝暦三年(1753年) 六月四日 / 享年不詳  
九代
 飛来 一閑  ~ひき・いっかん~
生年不詳 ― 天明八年(1788年) 六月四日 / 享年不詳  
十代
 飛来 一閑  ~ひき・いっかん~
宝暦七年(1757年) ― 文政十三年(1830年) 六月二十日 / 六十歳  
十一代
 飛来 一閑  ~ひき・いっかん~
寛政三年(1791年) ― 明治五年(1872年) 九月二十四日 / 八十二歳  
十二代
 飛来 一閑  ~ひき・いっかん~
文政四年(1821年) ― 明治三十年(1897年) 一月二十日 / 七十六歳  
十三代
 飛来 一閑  ~ひき・いっかん~
安政六年(1859年) ― 大正二年(1913年) 十二月二十一日 / 五十五歳  
十四代
 飛来 一閑  ~ひき・いっかん~
明治二十七年(1894年) ― 昭和五十二年(1977年) 八月二十六日 / 八十四歳  
十五代
 飛来 一閑  ~ひき・いっかん~
大正十五年(1926年) 八月二十九日 ― 昭和五十六年(1981年) 七月一日 / 五十六歳  
[当代]
十六代

 飛来 一閑  ~ひき・いっかん~
昭和三十八年(1963年) ―  


  • ◆ 飛来家 ◆

飛来一閑の一閑張細工

三千家御用達の【一閑張細工師】として、「棗」や「香合」をはじめ代々三千家御家元の「御好物」の製作などを行う【職家】であり、わが国における漆工芸の一種【一閑張】の創始者である。

【一閑張細工師】を業とする【飛来家】の祖は現在の《中国/浙江省杭州》の出身の人物で寛永年間(1624年-1644年)に来日。
『大徳寺百七十世住持/清巌宗渭(1588-1662)』和尚を通じて『千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578-1658)』に引き立てられ千家近くの小川頭に家を構え、【一閑張細工師】を始めたといわれている。

【一閑張】は木地に和紙を張り重ねたものや、張抜などで器物を作り、唐漆を塗ったものでわび茶の道具にふさわしいとして『千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578-1658)』に好まれ、以来その指導による「茶道具」や『表千家四代/逢源斎江岑宗左(1613-1672)』、『表千家六代/覚々斎原叟宗左(1678-1730)』など千家の「御好物」を代々製作するようになった。

しかし【飛来家六代/飛来一閑】から【飛来家八代/飛来一閑】までは当主が相次ぎ早世、家業の維持が困難な時期を迎える。
その後【飛来家九代/飛来一閑】は家業の再興をはかるも【飛来家】も他の【職家】と同様に天明八年(1788年)一月に起こった『天明の大火』で罹災、家譜や初代以来の「作品」・「印判」・「墨蹟」など大切な資料類の大部分を焼失。
(※『千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578-1658)』が書いた『一閑由来記』も焼失)。

『天明の大火』の困難を迎えるも【飛来家十代/飛来一閑】をはじめ【飛来家中興の祖】とも呼ばれた【飛来家十一代/飛来一閑】【飛来家】の再興に尽力。

【飛来家十四代/飛来一閑】は後継者となるべく育てた二人の息子を太平洋戦争の徴兵による戦死でなくし、のちに婿養子として迎えた【飛来家十五代/飛来一閑】は大成する前に急逝。

現在はその娘である【飛来家十六代 [当代]/飛来一閑】が夫と共に家業を支えている。

なお歴代の事績については【飛来家十一代/飛来一閑】が書き留めた記録と『大徳寺第四百十八世住持/宙宝宗宇(1760-1838)』和尚が文政九年(1826年)に書かれた朝雪字の下部の【飛来家初代/飛来一閑】の略歴及び【飛来家十五代/飛来才右衛門】の記録に拠ってたどることができる。


  • ◆ 歴代解説 ◆
    ― 目次 ―
  • ― 解説 ―

  • 飛来家初代 飛来 一閑 ~ひき・いっかん~
  • 萬暦六年(1578年) ― 明暦三年(1657年) 十一月二十一日 / 八十歳
出自
《中国/浙江省杭州》にある西湖畔の《飛来峰》の山裾で生まれる
[軒号]【飯後軒】
[号]【朝雪】【朝雪斎一閑】【飯後軒】【飛来道人】【閑道人】【金剛山人】【一閑】

事績
成人となり日本の禅宗と関係が深い《臨済宗/雲隠寺》に帰依。
明末清初の動乱期に戦禍を避け、寛永年間(1624年-1645年)に朋友二人と共に同じ臨済宗の寺である『大徳寺/百七十世住持/清巌宗渭(1588-1662)』和尚を頼りに来日。
日本では中国での身分を隠し、出身の《飛来峰》から【飛来】を名乗り小川頭に家を構えた。

『大徳寺/百七十世住持/清巌宗渭(1588-1662)』和尚の紹介により『千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578-1658)』に入門、趣味の【紙漆細工】で茶道具を製作し愉しんでいたのを『千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578-1658)』に認められ、「紙漆細工」は【一閑張】と称せられ、評判を呼ぶ。
また『千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578-1658)』の注文により作成した【一閑張】の作品が二十例ほど現存している。

【飛来家初代/飛来一閑】はよく茶事を開催したがいつも懐石なしの「飯後の御入来」と案内したことから【飯後軒】の軒号を『千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578-1658)』から与えられたという書が伝わっている。

晩年の承応三年(1654年)『大徳寺/百七十世住持/清巌宗渭(1588-1662)』和尚から【朝雪】の斎号を授かり【朝雪斎一閑】とも号す。
他にも【飛来道人】【閑道人】【金剛山人】とも称した。

享年
明暦三年(1657年)十一月二十一日没。享年八十歳。

▲歴代一覧へ戻る

  • 初代飛来一閑 [長女] 岸田ゆき ~きしだ・ゆき~
  • 生年不詳 ― 天正十七年(1590年) / 享年不詳
出自
『[父]飛来家初代/飛来一閑』の長女

[号]【一閑】

事績
「御所」仕えを務めていた『岸田喜右衛門』に嫁ぎ、内職として『[父]飛来家初代/飛来一閑』から教わった【一閑張】を始める。

【岸田ゆき】の子孫も数代は【一閑張】を家業とし、彼らの作品は【岸一閑】と言われる。
また作品には【飛来家】との区別のため【岸】あるいは【岸一閑】の印が捺されている。

享年
生年不詳 ― 天正十七年(1590年)。 享年不詳。

▲歴代一覧へ戻る

  • 飛来家二代 飛来 一閑 ~ひき・いっかん~
  • 生年不詳 ― 天和三年(1683年) 五月三日 / 享年不詳
出自
『[父]飛来家初代/飛来一閑』の子

[通称]【才右衛門】
[号]【一閑】
[法名]【巌雪祥門】

事績
若年にして父『飛来家初代/飛来一閑』が没したため、母と共に母の里である《近江/安土》に引きとられ、その地で生涯を閉じたと伝えられている。(実績は明らかではない)
剃髪し【一閑】と名乗ったと伝えられている。

公式には【飛木家二代】とされるが、『飛来家三代/飛来一閑』が伯母の元に修行に出たことから推測して実際に【一閑張】製作を行っていたかどうかは不明とされている。

享年
天和三年(1638年)五月三日没。享年不詳

▲歴代一覧へ戻る

  • 飛来家三代 飛来 一閑 ~ひき・いっかん~
  • 生年不詳 ― 正徳五年(1715年) 五月八日 / 享年不詳
出自
『[父]飛来家二代/飛来一閑』の長男
[号]【一閑】
[法名]【宗信禅門】

事績
元禄七年(1694年)、父『飛来家二代/飛来一閑』の遺言により『飛来家初代/飛来一閑』の伝書を携えて伯母『岸田ゆき』の元で【一閑張】技法を修行。

その後、《智恵光院通下立売》付近に居を構え、屋号を【笹屋】と称し、【一閑張細工】を家業として再開。
また、剃髪して【一閑】と号し、「臨済宗」から「日蓮宗」に宗旨替えし、《立本寺/了仙院》を菩提寺とする。

享年
正徳五年(1715年)五月八日没。享年不詳。

▲歴代一覧へ戻る

  • 飛来家四代 飛来 一閑 ~ひき・いっかん~
  • 生年不詳 ― 享保十八年(1733年) 七月九日 / 享年不詳
出自

[号]【一閑】
[法名]【義空了清】

事績
【飛来家四代/飛来一閑】については『茶器名物図彙』に【飛来家四代/飛来一閑】の事績として「京都にて正徳年之頃 先代千宗旦と懇意之訳を以千家へ立入り」とあり。
著者『草間直方(1753-1831)』はこの代に「表千家」に出入りを許されるようになり、『表千家六代/覚々斎原叟宗左(1678-1730)』の指図で棗や香合などの「御好物」を作ったと伝えている。

享年
享保十八年(1733年)七月九日没。享年不詳。

▲歴代一覧へ戻る

  • 飛来家五代 飛来 一閑 ~ひき・いっかん~
  • 生年不詳 ― 寛保元年(1741年) 十一月五日 / 享年不詳
出自

[通称]【才右衛門】
[号]【一閑】
[法名]【信受道源】

事績
享保年間(1716年-1735年)末頃より、『表千家七代/如心斎天然宗左(1705-1751)』の愛願を受け【一閑張茶道具】のほかに「茶筌」、「羽箒」、「路地傘」、「円座」、「草履」などの「数寄屋道具」も製作したと先の『草間直方(1753-1831)』は伝えている。
(※詳細は不明で今のところその間の事情を明らかにすることは出来ていない)

しかしながら「茶筌」は以後、現在まで取り扱いその「仕様」、「寸法」が代々伝えられている。
剃髪後【一閑】と号す。

享年
寛保元年(1741年)十一月五日没。享年不詳。

▲歴代一覧へ戻る

  • 飛来家六代 飛来 一閑 ~ひき・いっかん~
  • 生年不詳 ― 延享三年(1746年) 十二月十四日 / 享年不詳
出自

[号]【一閑】
[法名]【禾禅門】

事績
『表千家七代/如心斎天然宗左(1705-1751)』の「御好物」を残している。
剃髪し【一閑】と号したと伝えられている。

享年
延享三年(1746年)十二月十四日没。 享年不詳。

▲歴代一覧へ戻る

  • 飛来家七代 飛来 一閑 ~ひき・いっかん~
  • 生年不詳 ― 寛延三年(1750年) 八月十六日 / 享年不詳
出自
『[父]飛来家六代/飛来一閑』の長男
『[次男]飛来家七代/飛来一閑』の兄

[通称]【才右衛門】
[号]【一閑】
[法名]【涼月宗受】

事績
『表千家七代/如心斎天然宗左』の「御好物」の作品を作っているが剃髪するに至らず夭折。

享年
寛延三年(1750年)八月十六日没。 享年不詳。

▲歴代一覧へ戻る

  • 飛来家八代 飛来 一閑 ~ひき・いっかん~
  • 生年不詳 ― 宝暦三年(1753年) 六月四日 / 享年不詳
出自
『[父]飛来家六代/飛来一閑』の次男
『[長男]飛来家七代/飛来一閑』の弟

[通称]【才右衛門】
[号]【一閑】
[法名]【夏月宗栄】

事績
兄である『[長男]飛来家七代/飛来一閑』の没後、【飛来家】の家督を継いだが『[父]飛来家六代/飛来一閑』も兄の後を追うようにわずか三年後に亡くなっている。

『[父]飛来家六代/飛来一閑』から【飛来家八代/飛来一閑】までわずか八年間、この目まぐるしい代替わりは【飛来家】にとって苦難の時期ではあったが作品は『表千家七代/如心斎天然宗左( 1705-1751)』の「御好物」の「糸巻」や粒足の「莨盆」、「菓子器」、「香合」などの優品を残している。

享年
宝暦三年(1753年)六月四日没。 享年不詳。

▲歴代一覧へ戻る

  • 飛来家九代 飛来 一閑 ~ひき・いっかん~
  • 生年不詳 ― 天明八年(1788年) 六月四日 / 享年不詳
出自
『[養父]飛来家六代/飛来一閑』の娘の婿養子

[号]【一閑】
[法名]【釈浄正】

事績
『表千家八代/啐啄斎件翁宗左(1744-1808)』の「好み物」を作成。
宝暦八年(1758年)二月、現住所の《出水通油小路西入ル》に居を移しており、以来今日まで二百五十年ほど経つことになる。

また明和二年(1765年)に「日蓮宗」より「浄土真宗/東本願寺派」に宗旨替えを行い、所属寺を《願正寺》とする。

【飛来家】の家業が軌道にのりかけた天明八年(1788年)一月の「天明の大火」により、家屋敷や代々の作品、家伝、資料などすべてを消失、失意の上に没する。

享年
天明八年(1788年)六月四日没。享年不詳。

▲歴代一覧へ戻る

  • 飛来家十代 飛来 一閑 ~ひき・いっかん~
  • 宝暦七年(1757年) ― 文政十三年(1830年) 六月二十日 / 六十歳
出自
『[父]飛来家九代/飛来一閑』の子

[通称]【才右衛門】
[号]【一閑】
[法名]【釈実證】

事績
宝暦七年(1757年)頃の生まれとされる。
天明八年(1788年)一月の『天明の大火』と『[父]飛来家九代/飛来一閑』の死という二重の苦難に遭遇しながらも三十二歳頃に【飛来家】の家督を継ぎ家職の再興に励んだ。

大火後まもなく寛政年間(1789年)に『表千家八代/啐啄斎件翁宗左(1744-1808)』より「折撓棗(三十個)」の注文を受け、『飛来家初代/飛来一閑』の作風を慕った入念な作品を作り『表千家八代/啐啄斎件翁宗左(1744-1808)』が「梅寒菊」の道歌を直書している。

【飛来家十代/飛来一閑】以後、【飛来家】では当主は剃髪し【一閑】を名乗るのがしきたりとなった。

享年
文政十三年(1830年) 六月二十日没。享年六十歳。

▲歴代一覧へ戻る

  • 飛来家十一代 飛来 一閑 ~ひき・いっかん~
  • 寛政三年(1791年) ― 明治五年(1872年) 九月二十四日 / 八十二歳
出自

[幼名]【弥太郎】【才次郎】
[通称]【才右衛門】
[号]【有隣斎】【有隣一閑】【一閑】
[法名]【釈実閑】
[俗称]【花丸一閑】【ウリ一閑】

事績
『飛来家初代/飛来一閑』以来の名人と謳われた【飛来家十一代/飛来一閑】は、二十六歳で【飛来家】の家職を継ぎ、先祖伝来の作風を尊重しながらも独自の技術による格調高い作品を残し『表千家十代/吸江斎祥翁宗左(1818-1860)』の「好み物」も数多く作っている。

嘉永二年(1849年)、五十九歳の時に隠居剃髪し、【飛来家】の家督を『[次男]飛来家十二代/飛来一閑』に譲るが、その後も製作に励み安政三年(1856年)の『飛来家初代/飛来一閑』の二百年忌には「籠地四方盆」を二百枚作りその雅味が茶人たちに喜ばれた。

享年
明治五年(1872年)九月二十四日没。享年八十二歳。

▲歴代一覧へ戻る

  • 飛来家十二代 飛来 一閑 ~ひき・いっかん~
  • 文政四年(1821年) ― 明治三十年(1897年) 一月二十日 / 七十六歳
出自
『[父]飛来家十一代/飛来一閑』の次男

[幼名]【才次郎】
[通称]【才右衛門】
[号]【任有斎】【一閑】
[法号]【徹々斎一閑居士】

事績
兄が早世したため【飛来家】の家督を継承し【才右衛門】】を名乗る。
『表千家十代/吸江斎祥翁宗左(1818-1860)』の「好み物」を多く作り重厚で雅趣に富む作風で知られる。

【飛来家】の墓所を《願正寺》より《臨済宗/大徳寺派/高桐院》に移す。
『[父]飛来家十一代/飛来一閑』の遺作に【飛来家十二代/飛来一閑】が唐草文様をつけた珍品の兜形香合が残っている。

享年
明治三十年(1892年)一月二十日没。享年行年七十六歳。

▲歴代一覧へ戻る

  • 飛来家十三代 飛来 一閑 ~ひき・いっかん~
  • 安政六年(1859年) ― 大正二年(1913年) 十二月二十一日 / 五十五歳
出自
『[祖父]飛来家十一代/飛来一閑』の長男の子
『[叔父]飛来家十二代/飛来一閑』の甥

[通称]【才右衛門】
[号]【一閑】
[俳号]【飛来有水】
[法名]【釋了閑】

事績
明治二十八年(1895年)に三十八歳で【飛来家】の家督を継承。
『表千家十二代/惺斎敬翁宗左(1863-1937)』の「好み物」を作り、特に「松竹梅に鶴の蒔絵」の『ぶりぶり香合』は有名である。

また【飛来有水】と号して俳句にも長じたが剃髪しないまま亡くなる。

享年
大正二年(1913年)十二月二十一日没。享年五十五歳。

▲歴代一覧へ戻る

  • 飛来家十四代 飛来 一閑 ~ひき・いっかん~
  • 明治二十七年(1894年) ― 昭和五十二年(1977年) 八月二十六日 / 八十四歳
出自
『[父]飛来家十三代/飛来一閑』の長男

[幼名]【駒太郎】
[号]【一閑】
[法名]【白樺院釈空閑】

事績
温厚な人柄で知られ『表千家十三代/即中斎無盡宗左(1901-1979)』の「好み物」の「折撓溜塗吹雪」や「芽張柳黒大棗」など華やぎの中にも【一閑張】特有のわびた作風を残している。

太平洋戦争により二人の息子を戦死で失ったため、昭和三十年(1955年)五月に後の『飛来家十五代/飛来一閑』を婿養子として迎える。

享年
昭和五十二年(1977年)八月二十六日没。享年八十四歳。

▲歴代一覧へ戻る

  • 飛来家十五代 飛来 一閑 ~ひき・いっかん~
  • 大正十五年(1926年) 八月二十九日 ― 昭和五十六年(1981年) 七月一日 / 五十六歳
出自
『[義父]飛来家十四代/飛来一閑』の婿養子
『[義父]飛来家十四代/飛来一閑』の娘である『[妻]飛来敏子』の夫

[号]【一閑】
[法名]【滋明院釋貞真】

事績
『[義父]飛来家十四代/飛来一閑』の二人の実子が戦死したため【飛来家】へ養子に入り『[義父]飛来家十四代/飛来一閑』のもとで修行を積み、『[義父]飛来家十四代/一閑』の死後、【飛来家】の家督を継承、【飛来家十五代/飛来一閑】を襲名。

しかし襲名後わずか四年後に五十代のこれからという時に志なかばで亡くなる。

出仕
昭和三十五年(1960年)、『表千家十三代/即中斎無盡宗左(1901-1979)』の要請により【飛来家十五代/飛来一閑】をはじめ他の【職家】より『土田家十二代/土田友湖(1939-)』・『黒田家十三代/黒田正玄(1936-207)』・『大西家十五代/大西浄心(1924-2002)』・『奥村家十二代/奥村吉兵衛(1934-)』と共に五人揃って出仕する事となる。

享年
昭和五十六年(1981年)七月一日没。享年五十六年。

▲歴代一覧へ戻る

  • 飛来家十六代 [当代] 飛来 一閑(里美) ~ひき・いっかん(さとみ)~
  • 昭和三十八年(1963年) ― 年(年) / 歳
出自
『[父]飛来家十五代/飛来一閑』の長女

[名]【里美】
[号]【一閑】

事績
昭和五十九年(1984年)「京都芸術短期大学」卒業。
『[父]飛来家十五代/飛来一閑』が亡くなった後、三百数十年の伝統を持つ独特な【一閑張】の技術を継承すべく修行に励み『表千家十四代/而妙斎宗左(1938-)』のすすめにより昭和六十二年に家元へ初出仕。

平成十年(1998年)に【飛来家】の家督を継承、『飛来家十六代/飛来一閑』を襲名。
夫と共に【飛来家】の家業を支えている。


享年

▲歴代一覧へ戻る


千家十職 HOME
楽家
[茶碗師]
樂 吉左衛門
樂家商品一覧
永楽家
[土風炉/焼物師]
永楽 善五郎
永楽家商品一覧
中村家
[塗師]
中村 宗哲
中村家商品一覧
中川家
[金物師]
中川 浄益
中川家商品一覧
土田家
[袋師]
土田 友湖
土田家商品一覧
黒田家
[竹細工/柄杓師]
黒田 正玄
黒田家商品一覧
大西家
[釜師]
大西 清右衛門
大西家商品一覧
飛来家
[一閑張細工師]
飛来 一閑
飛来家商品一覧
奥村家
[表具師]
奥村 吉兵衛
奥村家商品一覧
駒沢家
[指物師]
駒澤 利斎
駒澤家商品一覧

ー◆ 各解説文章についてのお願い ◆ー
「和伝.com」内に掲載しています各解説文章につきましては、運営者が茶道の修練にあたり、個人的にまとめた解説文章となっておりますので個人的な見解や表現なども含まれていることを事前にご理解頂き、ご参考にされる場合は皆様が修練なさっています先生などにご確認の上、自己の責任においてご参考にして頂きますようよろしくお願い申し上げます。
また弊社は各解説文章のご利用について生じた問題等において一切の責任は負いかねますので予めご了承ください。

ページの先頭へ移動