

三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)に出入りし、歴代の御家元御好道具や千家の流れを汲む茶道具を代々にわたり制作する十の『職家』を表す尊称である。
【十家】の特徴として、芸術作家などとは異なり茶道具の基本となる利休好みの形や色を代々受け継ぎ、三千家御家元の御好物道具の制作を中心にその時代の各家当主による創意工夫を施した茶道具を制作。
また現在においても【十家】は代々受け継がれてきた伝統を固守するだけでなくその時代時代に合わせた利便性、亭主の意向、自らの創造性など様々な要素をふまえ新たなる茶道具を生み出している。
※『千家十職』の尊称は大正時代に入り、茶道界の再興とともに茶道具制作の需要が飛躍的に増えた頃、
百貨店での御家元御好道具の展覧会が行われた際にはじめて用いられという。(その他諸説あり)
日本独自の茶室という空間で行われ【茶道】には季節や道具の取合せ、また独自の作法など使用される茶道具には創意工夫や利便性が非常に必要とされます。
茶の湯の大成者である『抛筌斎千宗易(利休)(1522年-1591年)』は『樂家初代/長次郎(不詳-1589年)』の茶碗や京釜師である『辻与次郎(生没年不詳)』の釜など、独特の好みを持った茶道具を好んでいる。
『千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578年-1658年)』は祖父である『抛筌斎千宗易(利休)(1522年-1591年)』の茶風を残そうとした職人を指導し、【利休好み】の作品を制作できる者を重用したとされている。
また現在の【千家十職】である【茶碗師/樂家】の茶碗や【一閑張細工師/飛来家】の棗・香合のほか、現在の【千家十職】に名はないが『釜師/西村九兵衛(生没年不詳)』の釜なども『千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578年-1658年)』に好まれ、多くの作品を残している。
元文四年(1739)九月四日に『表千家七代/如心斎天然宗左(1705-1751)』が催した「千利休/百五十年忌」の年忌茶会では、千家の職方として
職 家 |
【茶碗師/樂吉左衛門】 |
【塗師/中村宗哲】 |
【袋師/土田友湖】 |
【竹屋/玄竺】 |
【袋師/二得】 |
の五名が招かれており、特に【茶碗師/楽吉左衛門】と【塗師/中村宗哲】は当時の職方の長老的な存在だったと言われている。
茶の湯の大成期(江戸時代)には現在のように固定された【十家】に限らず千家に道具を納めていた職家は二十家以上あったとされている。
千家に出入りする職家が【十家】になっている最古の記録は宝暦八年(1758)に行なわれた『宗旦/百年忌』の茶会であり、
職 家 |
【茶碗師/樂吉左衛門】 |
【塗師/中村宗哲】 |
【袋師/土田友湖】 |
【竹屋/元斎】 |
【釜師/大西清右衛門】 |
【指物師/駒沢利斎】 |
【柄杓師/黒田正玄】 |
【鋳師/中川浄益】 |
【大工/善兵衛】 |
【表具師/奥村吉兵衛】 |
の十名の職方が招かれている。
その後、徐々に千家出入りの職家は固定され、天保十一年(1840)の「利休/二百五十年忌」の頃には、
職 家 |
【茶碗師/樂吉左衛門】 |
【袋師/土田友湖】 |
【釜師/大西清右衛門】 |
【指物師/駒沢利斎】 |
【柄杓師/黒田正玄】 |
【鋳師/中川浄益】 |
【表具師/奥村吉兵衛】 |
【一閑張師/飛来一閑】 |
【土風炉師/西村善五郎】 (現:土風炉・茶碗師/永楽善五郎) |
【塗師/余三右衛門】 |
の十名の職方が招かれており千家出入りの職方は現在と同様の顔ぶれとなっている。
昭和八年(1933)頃、【十家】による『十備会』を結成。
(※現在、『十備会』による作品展が三年毎に開催されている。)
また昭和六十年(1985)には歴史と伝統を守る為『十職会』が結成されている。
現在においても【千家十職】の各家当主は毎月一日には表千家御家元の元へ集い、御家元へのご挨拶とともに各家の交流を図っている。
ー◆ 各解説文章についてのお願い ◆ー
「和伝.com」内に掲載しています各解説文章につきましては、運営者が茶道の修練にあたり、個人的にまとめた解説文章となっておりますので個人的な見解や表現なども含まれていることを事前にご理解頂き、ご参考にされる場合は皆様が修練なさっています先生などにご確認の上、自己の責任においてご参考にして頂きますようよろしくお願い申し上げます。
また弊社は各解説文章のご利用について生じた問題等において一切の責任は負いかねますので予めご了承ください。