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茶道の歴史

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道の飛躍 ◆
江戸時代/前期 [1603年-1868年]

“『茶道』はどのように飛躍していくことになったのか?”


══════════════ 目 次 ══════════════ ▼はじめに   ▼大名茶の終焉   ▼茶の湯の流儀化
▼宮中茶道の復活   ▼職家の役割   ▼用語解説 ═══════════════════════════════



じめに~『茶道』の継承者~

天下人であった『[関白/太閤]豊臣秀吉(1536-1598)』亡き後、時代は太平の江戸時代(1603-1868)を迎える事となる。
しかし茶道史上最大の功労者である『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522-1591)』が自刃し、『茶道』は誰が継承し飛躍していくのか?

『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522-1591)』が大成させた『茶道』がその後どのように後世に伝えられていったのかをご紹介いたします。

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名茶の終焉~茶道の飛躍~

江戸時代(1603-1868)を迎え徳川幕府の時代になるとそれまでの『茶の湯』の政治性は次第に希薄になってきます。
『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522-1591)』亡き後、『[大名/利休七哲]古田(織部)重然(1544-1615)』『遠州流創始者/小堀遠州(1579-1647)』『[大名]石州流開祖/片桐石州(1605-1673)』が徳川将軍家の『茶の湯指南』となるが『遠州流創始者/小堀遠州(1579-1647)』の死によって天下人の『茶の湯』の時代は終わりを告げたといえる。

そこで新たに『茶の湯』の維持に力を発揮したのが下記の『利休七哲』とよばれる七人の武家大名たちである。
・『[武将/利休門三人衆/利休七哲]肥後細川家初代/細川(三斎)忠興(1563-1646)』
・『[武将/利休門三人衆/利休七哲]芝山(監物)宗綱(生没享年不詳)』
・『[武将/利休門三人衆/利休七哲]蒲生氏郷(1556-1595)』
・『[武将/利休七哲]高山(右近)重友(1552-1615)』
・『[大名/利休七哲]古田(織部)重然(1544-1615)』
・『[武将/利休七哲]瀬田(掃部)正忠(1548-1595)』
・『[武将/利休七哲]牧村(兵部)利貞(1546-1593)』

―[備考]
利休七哲の人物については諸説あり

江戸時代(1603-1868)初期頃には江戸幕府の組織も未成熟であっため幕府も諸藩大名家も経済(財政)力にたけた人材を必要としており、そこで諸藩大名家と豪商たちとの間を取り持ったのが『茶の湯』の力であった。

その後『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522-1591)』の子息の手によりに『三千家』が誕生。
そして『三千家』の流儀化が確立することで新しい『茶の湯』の時代が訪れることとなる。


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の湯の流儀化~三千家の確立~

前述の通り江戸時代(1603-1868)初期の頃の『茶の湯』は、主に大名・豪商などが中心のごく限られたものであったが、江戸時代(1603-1868)中期になると町人階級が経済的勃興するとともに飛躍的に『茶の湯』が再考される事となる。
そしてこれ等の町人階級を主とする新たな『茶の湯』参入者を迎え入れたのが、元々町方の出自である『三千家』と呼ばれる千家系の流派である。

『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522-1591)』亡き後、『[関白/太閤]豊臣秀吉(1536-1598)』から千家再興を許された息子の『千家二代/千少庵(宗淳)(1546-1614)』は京都『[日蓮宗]本法寺』門前の屋敷に『[茶室]不審庵』『[茶室]残月亭』などの茶室を創建し『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522-1591)』の『茶の湯』を維持継承に尽力。

そしてその子『千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578-1658)』は当初『大徳寺百十一世/春屋宗園(1529-1611)』のもとで『禅僧』として修業するが『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522-1591)』没後の文禄年間(1592-1596)に『千家』に復帰し『茶人』としての道を歩み出す。

その後『千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578-1658)』の三人の息子たちによる『三千家』の成立および『茶の湯』の流儀化が確立することになる。

・三男の『表千家四代/逢源斎江岑宗左(1613-1672)』が表千家
・四男の『裏千家四代/臘月庵仙叟宗室(1622-1697)』が裏千家
・次男の『武者小路千家四代/似休齋一翁宗守(1605-1676)』が武者小路千家

別ページにて千家十職をもっと詳しくご紹介

家十職 ▶▶▶

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『表千家四代/逢源斎江岑宗左(1613-1672)』は父『千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578-1658)』から『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522-1591)』の「点前」「作法」「道具」「茶室」などの言い伝えを後世へ伝承すべく多くの聞書を書き残しておりその代表的な聞書に『江岑夏書』がある。

■ 江岑夏書 ■
『表千家四代/逢源斎江岑宗左(1613-1672)』自筆の茶書(上下二巻)。
寛文二年(1662)から翌年七月にかけて、とくに『夏安居(陰暦の四月十六日から七月十五日まで僧がこもって修行をする期間)』に記されたため「夏書」と呼ばれる。

また三人の息子は大名家へ茶堂として仕官し大名家との関係を強固とし『茶家』としての安泰を手に入れると共に『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522-1591)』の死後もその教えを伝承し『茶家』の流儀(流派)として自立・確立していくための第一歩を踏み出すことになる。

・『表千家四代/逢源斎江岑宗左(1613-1672)』は紀州/徳川家
・『裏千家四代/臘月庵仙叟宗室(1622-1697)』は加賀/前田家
・『武者小路千家四代/似休齋一翁宗守(1605-1676)』は高松/松平家

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中茶道の復活~茶道再興の礎~

安土桃山時代(1573-1603)に『[関白/太閤]豊臣秀吉(1536-1598)』により『宮中』に持ち込まれた『茶の湯』であったがその後は定着せず沈静化。

しかし京都『鹿苑寺/金閣寺』の『[金閣寺/住持]鳳林承章(1593-1668)』の書き綴った日記『隔瞑記』によると『百八代/後水尾天皇(1596-1680)』の弟である『[五摂家]近衛家十九代当主/近衛信尋(1599-1649)』をはじめとする公家や門跡、近臣などが参加した『口切茶会』のようすが記され、『書院』での食事から『茶屋』での茶会そしてその後の遊宴などが記されている。

またその子である『[第百十一代天皇]後西天皇(1638-1685)』は幼少の頃より茶の湯を学び父『[第百八代天皇]後水尾天皇(1596-1680)』同様に遊宴をともなった茶会を催している。
しかし譲位して上皇になって以降は遊宴を排し三畳台目の『茶室』のみで一会に終始したという。
さらに『野上焼』などの好みの焼物を焼かせそれを自身の茶会に用いるなど従来の『禁中茶会』とは異なる展開を見せる。
その後『[第百十一代天皇]後西天皇(1638-1685)』の『茶の湯』は継承する『[公家]近衞家熈(1667-1739)』によって『御流儀』として流儀化されることとなる。

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家の役割~『茶道具』を造る~

日本独自の『茶室』という空間で行われる『茶道』には季節や道具の取合せ、また独自の作法など使用される『茶道具』には創意工夫や利便性が非常に必要とされます。

『茶の湯』の大成者である『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522-1591)』は『樂家初代/長次郎(不詳-1589年)』の茶碗や京釜師である『[釜師]辻与次郎(生没年不詳)』の釜など、独特の好みを持った『茶道具』を好んでいる。

また『千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578-1658)』は祖父である『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522-1591)』の茶風を残そうとした職人を指導し、『利休好み』の作品を制作できる職人を重用したとされている。

『茶道具』を制作する職人の特徴として他の芸術作家や工芸作家などとは異なり『茶道具』の基本となる『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522-1591)』の『御好』の形や色を代々受け継ぎ、三千家御家元の御好物道具の制作を中心にその時代の各家当主による創意工夫を施した『茶道具』を制作することが主となる。

今日では三千家御家元の御好物道具の制作を主とする十の職家が『千家十職』として日々作陶に尽力している。

別ページにて千家十職をもっと詳しくご紹介

家十職 ▶▶▶


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語解説 ◆


■ 用語解説 ■
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項案内 ■


次ページにて“厳格な『茶道』が遊芸になるとはどういうことなのか?”をご紹介

の湯の遊芸化 ▶▶▶
江戸時代/後期 [1603年-1868年]

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道入門ガイド ■


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道辞典 ■


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