
千家十職
07.土田友湖 [袋師]
❙はじめに ~ 土田友湖 ~
「千家十職」とは、千家好みの茶道具の制作を業とする十家の職家であり、日本美術(伝統工芸)の中でも特に重要な職人技を受け継いできた家々です。その技法は代々継承され、茶の湯の美と職人の美が融合した作品を生み出しています。
その千家十職の一つである土田家は、三千家御用達の「袋師」として「仕覆」「帛紗」などをはじめ代々家元の「御好物」などの制作を業とする職家です。
土田家の仕覆は、茶器や茶道具を包み込むだけでなく、その美しさを引き立てる役割も果たします。使用される裂地は、古くから伝わる名物裂をはじめ、時代ごとの美意識に即したものが選ばれ、一針一針丁寧に仕立てられます。仕覆の紐や結び方に至るまで、茶の湯のしつらえにふさわしい細やかな工夫が施されています。
土田家は、茶の湯の発展とともに技術を磨き、千家好みの袋物を代々にわたり制作してきました。その作品は、時代の変遷を経ながらも、伝統の技法を守り続け、茶の湯の世界に欠かせない存在となっています。
本項では土田家の歴史とそのあゆみについてご紹介します。
それでは「袋師/土田友湖」について詳しく見ていきましょう。
❙土田友湖 ~ あゆみ ~
土田家の祖先は江州(現在の滋賀県)蒲生郡土田村出身の侍である『土田七大夫』と伝えられています。後に『初代彦根藩主/井伊兵部大輔直政(1561年-1602年)』に仕官し、代々鉄砲組頭をめた家柄と伝えられる。
「土田家初代/土田友湖(半平)」は本来武士の家の跡取りであったが実母の早世により継母の子である『籐兵衛』に家督を譲り、武士を「廃業」。その後 「土田家初代/土田友湖(半平)」は京に出て『越後屋半兵衛』と名乗り、商人となり京都・上京で西陣の仲買を営んでいました。
しかし生来の器用さを生かし、近隣に住む『二代/亀岡二得(生没享年不詳)』の子『亀岡宗理(生年没不詳)』のもとへ熱心に通い「袋物」の技術を習得、奥義、秘伝一切を伝授され「土田家初代/土田友湖(半平)」は仲買人を辞め『袋師』と業とする。
❙亀岡家❙
『初代/亀岡二得(生没享年不詳)』は「春日大社」の「田楽法師」で京都/上京に住んでいました。「茶入袋(仕服)」や「袋物」の名手で『抛筌斎千宗易(利休)(1522年-1591年)』や『細川三斎(1563年-1646年)』に愛され多くの袋物を仕立てました。その子である『二代/亀岡二得(生没享年不詳)』も茶道に熱心でした。孫にあたる『亀岡宗理(生没享年不詳)』も茶道に熱心で家業のすべてを弟子の「土田家初代/土田友湖(半平)」に譲り袋師を廃業し『伊勢国久居藩/籐堂家』の茶頭となります。以後代々久居藩茶道頭を努める。
土田家では「土田家五代/土田友湖」までは主に「茶入袋(仕服)」を生業としたが、以降は茶道具の「帛紗」「角帯」など、茶道の使用する裂地や繊維関係の制作を手掛けるようになりました。
また土田家では二代目以降、当主の通称は「半四郎」とし、隠居して剃髪後に「友湖」を名乗る習慣が確立されました。
土田家は、茶の湯に欠かせない袋物の技術を代々継承し、千家の茶道具にふさわしい袋物を制作し続けています。その技術と伝統は、今日に至るまで大切に守られています。