
茶道入門
01.茶道とは?
❙はじめに ~ 茶道とは? ~
「茶道入門」では茶道に初めて触れる皆様が茶道の基本を学び、心を込めたおもてなしの精神を体験できるよう、茶道の基礎を全10項目にわたって、わかりやすく解説してご紹介しています。
茶道は、単なるお茶の点前や作法の技術に留まらず、古代中国から伝来し、武家、僧侶、町人、そして今日に至るまで、日本の歴史とともに育まれてきた「道」です。
今日の茶道は、「和敬清寂」や「一期一会」といった理念のもと、心を磨き、四季折々の美しさを感じながら、人と人との和を育む伝統文化として確立されています。
茶道の歴史的背景、文化的根拠、具体的な作法や点前の所作、そして茶道に込められた哲学についても丁寧に解説していきます。
茶道を学ぶことで、現代のネット社会では味わえない深い精神性や、日常の喧騒を忘れ、自然と調和する静謐な時を体験できるでしょう。
そして、それは私たち日本人が古来から受け継いできた美徳や精神性そのものを再認識する機会となります。
本ページでは「茶道とは?」という疑問を紐解きながらその神髄を探っていきます。
それでは「茶道とは?」について詳しく見ていきましょう。
❙茶道とは? ~ 日本人のDNA ~
茶道とは長い年月をかけさまざまなな時代を経て構築された、日本を代表する伝統文化です。
・点前をはじめとする作法
・茶道具をはじめとする美術工芸
・茶室をはじめとする数寄屋建築
・茶事で供される懐石料理など
そのすべてが融合した唯一無二の総合文化であり、世界に誇る伝統芸術といえます。
また茶道はもてなしの心を大切にし、ただ茶を点て喫するだけでなく、茶室や露地の様子、茶道具、お菓子など、あらゆる要素で客人をもてなし、客人はそのすべてで四季折々の風情や亭主の趣を味わい楽しみます。
さらに茶道は禅の思想に基づき「わび・さび」の精神を重んじています。茶を点てる所作に没頭することで心を落ち着かせ、自分自身を見つめ直すことができるのです。
また茶道に由来する「一期一会」という言葉は、どの茶会でもこの機会は「一生に一度のもの」と心得、亭主も客人ともに誠意を尽くす心構えを意味しています。
自然豊かで伝統に裏打ちされた日本に生まれた私たちのDNAには、先人たちが築き上げた茶道の精神が受け継がれていることがわかるのではないでしょうか。
❙茶道とは? ~ わび・さび ~
今日の茶道を知らない方でも日本人であれば「わび・さび」という言葉は、一度は耳にしたことがあるのではないでしょか。本来、「わび」と「さび」は別の概念であったが近代の茶道においては一つの語として統合され、茶道を代表する言葉として用いられるようになりました。
しかし一般の方や茶人の中にも「わび・さび」の言葉をはっきりと説明できる方は少ないのではないでしょうか?
茶道と同様に奥の深い一語ではありますが、ここでは「わび・さび」の歴史や解釈を紐解きご紹介いたします。
❙ 侘び (わび) ❙
「わび」とは「不足の中にある静寂な心の境地」「静寂の中の枯淡な味わい」を説いています。
日本最古の和歌集『万葉集』には「わび」に関する記述はありますが今日のように美意識としての概念が一般的に用いられるのは江戸時代以降とされ『南方録』には
『わびの本当の心は清浄で無垢な仏の心の世界を表したものだと』
記されています。
本来「わび」は悲観の心身の状態を表す語でしたが室町時代において高価な「唐物道具」を尊ぶ中で、村田珠光は粗末なありふれた道具を用いる草庵茶を提唱し、後の武野紹鴎は「正直で慎み深くおごらぬさま」すなわち「わび」の精神を重んじました。
その後、千利休による茶道の大成とともに『不足の美』を表す美意識と変容していきます。
しかしこの時期には「わび」を明確に説いた記述はなく、利休時代に見られる「わび数寄」という表現も『山上宗二記』によれば
「一物も持たざる者、胸の覚悟一つ、作分一つ、手柄一つ、この三ヶ条が整う者」
意味し、いわば「貧乏(簡素な)茶人」を指すもので、美意識としての「わび」とは異なります。
美意識としての「わび」が広く認識されるようになったのは江戸時代以降であり、柳宗悦らの『民芸運動』や益田鈍翁などの数寄者の活動により、茶道具が美術品として普及する中で、「わび」は日本を代表する美意識の一語として定着しました。
余談ではあるが、『岡倉覚三(天心)』の著書『The Book of Tea(『茶の本』)』では、「わび」は "imperfect" と表記され、同書を通じて世界に広められました。
❙ 寂び (さび) ❙
「さび」とはもともと時間の経過による劣化した様子を表しているが、後に漢字「寂」が当てられたことにより「寂しい」「寂れる」すなわち「ひっそりと静まる」などの静まった様子を表すようになった。
しかしその結果「老いて枯れたもの」と「古びたものの美」という相反する要素が「さび」の中に内在するようになりました。
古くは『徒然草』において『古書を「味わい深い」』との記述がある事から古びた姿(様子)に美意識が宿ることが示唆されています。
村田珠光が提唱した『草庵茶』では茶の湯を表現する際に「冷えさび」「冷え枯れ」という表現が用いられています。
また室町時代以降、その美意識は「禅」「連歌」「能楽」などにも取り入れられたが利休の時代の史料や『山上宗二記』にある『侘びの十ヶ条』にも同書の文中にも「さび」の語は確認する事はできない。
推測ではあるが江戸時代に栄えた「俳諧」の流行とともない「わび」の概念が広がるにつれ「さび」という語も結び付けられ、茶道において用いられるようになったのではないかと考えられる。
❙茶道とは? ~ 点前 ~
茶の湯では招いた客人に差し上げる抹茶を点てる一連の所作、すなわち作法を『点前(てまえ)』と呼びます。
古くは「手前」の字を用いていましたが今日では炭を置くための所作、動作(作法)の場合のみ『手前』の表記が使われるようになっています。
また流派や季節(炉・風炉)によって『点前』の差異はありますが、基本的に茶道においては「濃茶点前」と「薄茶点前」の二つに大別することができます。
点前の歴史を辿ると中国・宋代の茶書『茶録』に「点茶」という語が初見と考えられます。また実際の「点前」の記録については永享九年(1437年)十月二十一日に『第百二代天皇/後花園天皇(1419年-1471年)』が『室町幕府第六代将軍/足利義教(1394年-1441年)』の室町殿へ行幸された際、『[武将]赤松貞村(1393年-1447年)』が天皇拝領の唐物道具を使い、平安装束(水干・折烏帽子)にて披露した『台子点前』であったとされています。
その後、『台子点前』は『[茶祖]村田珠光(1423年-1502年)』が提唱したの「草庵茶」の成立とともに『炉の点前』が考案され、これを「わび茶」を提唱する『[茶人]武野紹鷗(1502年-1555年)』に引き継がれ、そして『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522年-1591年)』の登場により『運びの点前』が成立し、茶の湯は「道」として確立、すなわち茶道が誕生し『点前』の基本はすべて整う事となります。
時代の流れとともに流派が増加し、各家の家元制度も確立された結果、『点前』はさらに多様化し、今日に至るまでその伝統が受け継がれています。
❙茶道とは? ~ 作法 ~
茶道に限らず、日本では古くから培ってきた独自の文化と精神に基づき、相手への感謝や地域や社会への秩序を保つためなど、さまざまな機会や場所にて規範となる『作法』があります。一言に『作法』といっても対人間だけでなく、自己と向き合う際の「神仏」「自然」「動植物」などあらゆる対象に対する『作法』が含まれます。
茶道における『作法』については「礼ではじまり、礼でおわる」という理念のもと、熟練の先生方はもちろん初めて茶道を習う方でもすべては『礼』から始まることを教えています。
流派によって細部に差はありますが、茶道には「お辞儀(礼)」「姿勢」「座り方(正座)」「歩き方」「点前」は当然のことながら「点前時(亭主)」「入室時(客人)」「喫茶時(客人)」「食事時(客人)」「退室時(客人)」などあらゆる場面において作法が求められます。
一見しこれだけを記すと非常に複雑で難解に思えるかもしれません。しかし茶道においては、相手だけでなく、自然、食材、空間などあらゆるものを敬う心があれば、すべてが合理的で理にかなう所作となるのです。この当たり前の事実を改めて教えてくれるのも茶道の大きな魅力の一つと言えます。
日本人として培われた当然の『作法』から「一期一会」の茶の空間秩序を保つために、亭主と客人がお互いに思いやる『作法』に至るまで、茶道における『作法』は生涯をかけてた修練によって磨かれています。
当たり前のことをおこなうことが、いかに難しいかを実感させられるのが茶道の深い魅力の一つでもあると考えられます。
❙茶道とは? ~ 茶道の心得 ~
茶の湯の大成者である『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522年-1591年)』は茶道における心得を説く標語として四つの漢字から成る『利休四規』と七つの言葉から成る『利休四規七則』を提唱しました。
これから茶道を修練する方にとって茶道の心得(心構え)となる大切な標語です。
❙ 利 休 四 規 ❙
和・敬・清・寂
❙ 利 休 七 則 ❙
一、茶は服のよきように
二、炭は湯の沸くように
三、夏は涼しく冬は暖かに
四、花は野にあるように
五、刻限は早めに
六、降らずとも雨の用意
これらの標語は、茶道における礼儀、精神、そして自然への敬意を象徴しており、茶の湯を通して真摯な交流を育むための指針となります。
ぜひ、日々の修練の中で心に刻み、茶道の奥深い世界を味わってみてはいかがでしょう。