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■寸法
口径10.2cm×高さ8.5cm
■用語解説
―[技法]―
◆緋襷(ヒダスキ)◆
―解説―
無釉の素地に、赤、茶、朱色などの線が「襷」をまわしたようにかかった模様です。
本来は、窯詰時(焼成時)に他の器と接触するのを避けるために用いた藁が、器肌に焼きついて自然に現れたのにはじまり、後にこれが備前焼の特色をなし、のちに装飾技法として用いられるようになった。
火襷の模様は、器に巻いた藁のカリウムなどの成分と、素地の鉄分などの化学作用によるもので、炎や灰が直接あたらないため、作品全体は素地に近いうす茶色に焼け、藁があたった箇所は、緋色に発色する。
―[人物]―
◆金重素山◆
―略歴―
明治四十二年(1909)―平成七年(1995)/ 享年八十六歳。
明治四十二年(1909)年三月三十一日、岡山県備前市に備前焼窯元/金重楳陽(慎三郎)を父として生まれる。本名/七郎左衛門。
父が幼時に死去したため、兄の金重陶陽に陶芸を学び、昭和二年(1927)より陶陽の助手として専ら窯焚をつとめ、戦後の備前焼の再興に尽力。
「大本教」を信仰し、昭和二十六年(1951)陶陽窯を離れるにあたって大本教主/出口直日の招請により京都府亀岡市の大本教本部の大本窯、花明山窯を制作の場と定めた。
その後、昭和三十四年(1959)大本教本部京都府綾部の鶴山窯に築窯して独立。
桃山時代の伊部焼「緋襷」に魅せられその再現に力を注ぎ、独自の窯を考案して焼成を試み、同四十年(1965)電気窯による「緋襷」制作を創案して翌年それを完成させる。
昭和五十八年(1983)、岡山県指定重要無形文化財保持者に認定。
平成三年(1991)岡山県文化賞受賞。勲四等旭日小授章受章。
平成七年(1995)十二月二十七日、午後五時五十分肺炎のため岡山県赤磐郡山陽町の病院で死去。
■関連カテゴリ
裏千家御書付
茶碗
◇売約ギャラリー◇ ◆金重素山◆ 備前 火ダスキ 茶碗 裏千家十五代鵬雲斎 御書付箱
=こちらの商品は売約済商品となります=
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商品番号:4290
◆商品概要◆
=古物/現品=
裏千家十五代 鵬雲斎書付箱
備前 火ダスキ
茶碗
共箱
岡山県指定無形文化財保持者
金重 素山 作
◆ 商品状態 ◆
無傷/無修復
※商品本体及び“外箱”に関し、明らかに人為的な「疵」や「直し(修復)」以外の「窯疵」、「釉薬垂れ」、「自然貫入」、「経年による擦れ、汚れ」などは「無傷」「無修復」と表記しています。
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『和伝.com』にご加盟頂きますと自社商品の出品及び
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◇売約ギャラリー◇ ◆裏千家十五代 鵬雲斎 自作◆ 茶杓 銘「関」 鵬雲斎箱 <下削/黒田正玄>
販売価格: 0 円
本来は、窯詰時(焼成時)に他の器と接触するのを避けるために用いた藁が、器肌に焼きついて自然に現れたのにはじまり、後にこれが備前焼の特色をなし、のちに装飾技法として用いられるようになった。
火襷の模様は、器に巻いた藁のカリウムなどの成分と、素地の鉄分などの化学作用によるもので、炎や灰が直接あたらないため、作品全体は素地に近いうす茶色に焼け、藁があたった箇所は、緋色に発色する。
明治四十二年(1909)年三月三十一日、岡山県備前市に備前焼窯元/金重楳陽(慎三郎)を父として生まれる。本名/七郎左衛門。
父が幼時に死去したため、兄の金重陶陽に陶芸を学び、昭和二年(1927)より陶陽の助手として専ら窯焚をつとめ、戦後の備前焼の再興に尽力。
「大本教」を信仰し、昭和二十六年(1951)陶陽窯を離れるにあたって大本教主/出口直日の招請により京都府亀岡市の大本教本部の大本窯、花明山窯を制作の場と定めた。
その後、昭和三十四年(1959)大本教本部京都府綾部の鶴山窯に築窯して独立。
桃山時代の伊部焼「緋襷」に魅せられその再現に力を注ぎ、独自の窯を考案して焼成を試み、同四十年(1965)電気窯による「緋襷」制作を創案して翌年それを完成させる。
昭和五十八年(1983)、岡山県指定重要無形文化財保持者に認定。
平成三年(1991)岡山県文化賞受賞。勲四等旭日小授章受章。
平成七年(1995)十二月二十七日、午後五時五十分肺炎のため岡山県赤磐郡山陽町の病院で死去。