top of page
4.png

千利休宗易

03.利休の遺偈 

❙はじめに ~ 利休の遺偈 ~

「千利休宗易」では『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)(1522年-1591年)』の出自からゆかりの人々まで、全10回にわたり解説し、『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)』が茶の湯に遺した教えや功績を詳しくご紹介します。

 

「利休の遺偈」では、『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)』が最期に遺した偈について、その意味を紐解きご紹介します。

『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)』は自刃の直前に辞世の句である「遺偈」を遺しました。そこには、生涯をかけて追求した茶の湯の精神と、禅の教えに基づく悟りの境地が込められています。その意味を深く探ることで、『千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)』が生涯を通じて目指したものが見えてくるでしょう。

それでは、「利休の遺偈」について詳しく見ていきましょう。

❙利休の遺偈 ~ 遺偈とは? ~

「抛筌斎千宗易(利休)(1522年-1591年)」の遺偈(ゆいげ)を知るに、「遺偈」という言葉の意味とその背景についてご紹介します。

​​

❚ 遺 偈とは? ❚

遺偈とは、高僧が自らの死を目前にして、弟子や後世に向けて遺す「偈(仏教の詩文)」のことを指します。

これは単なる詩ではなく、その人物の生涯の境地や悟りの境涯を凝縮した言葉であり、特に禅宗においては 「悟りの表現」 として非常に重視されます。

​❚ 偈(遺偈)とは? ❚

偈(げ)とは仏典中で韻文の形式をとり、仏の教えや仏・菩薩の徳を称えるために読まれた詩句です。一般的に四字、五字、七字をもって一句とし、四句から成るものが多いのが特徴です。

この言葉はサンスクリット語『gāthā(ガーター)』の音写に由来しており、以下のように表現されることがあります。

❙音訳❙

▶『偈陀(げた)』

▶『伽陀(かだ)』

❙漢語❙

▶『頌(じゅ)』

▶『讃(さん)』

また、詩と同じ形式であるものの、仏教的な題材が中心となる点が特徴的 です。

 

禅宗では禅僧が師家の啓発によって開悟したとき,その悟の心境を『偈頌』の形式をもって表現する。

​❚ 偈頌とは? ❚

禅宗では、僧が悟りを開いた際に、その心境を表す手段として 「偈頌(げじゅ)」 を用いることが一般的です。これには以下のような目的があります。

  • 悟りの境地を表現する

  • 師から弟子への教えを伝える

  • 生涯の思想を凝縮して後世に遺す

次項にてご紹介する「抛筌斎千宗易(利休)(1522年-1591年)」の遺偈もまた、こうした禅宗の伝統に基づいたものであり、その生涯の境地と、茶の湯の道を極めた者としての最期の言葉が込められています。

​「遺偈」とは、単なる辞世の句ではなく、その人物の人生観・哲学・悟りを凝縮した詩文であることを理解することが、千利休の遺偈を深く学ぶ上で重要なポイントとなります。

休の遺偈 ~ 遺偈 ~

 

じんせいしちじゅう りきいきとつ

人生七十 力囲希咄

わがこのほうけん そぶつともにころす

吾這寶剱 祖仏共殺

ひっさぐるわがえぐそくのひとつたち

提ル我得具足 一太刀

いまこのときぞてんになげうつ

今此時そ天に抛

「抛筌斎千宗易(利休)(1522年-1591年)」が切腹を命じられた際に詠んだとされるこの遺偈は、禅宗における「悟りの境地」 を象徴するものであり、彼の茶道哲学と人生観が凝縮された言葉です。

この偈には、人生の達観・無常の悟り・自己の決意 が込められており、茶の湯の道を極めた利休が最期の瞬間に発した言葉として、後世に大きな影響を与えました。

この遺偈は単なる辞世の句ではなく、「抛筌斎千宗易(利休)」が生涯を通じて追い求めた茶道の極意と、その最期の境地を表す言葉 です。

以下に、利休の遺偈を構成する各語の解釈についてご紹介します。

❙力囲希咄❙

禅宗において強い気概や悟りの境地を示す語句であり、悟りの声を発する瞬間を意味するとも解釈できます。

❙吾這寶剱 祖仏共殺❙

単に仏を否定する意味ではなく、「師や仏の教えを超越し、自らの道を極めた」という悟りの境地を表しています。

❙提ル我得具足 一太刀❙

 得具足(えぐそく)=「すべてを得た者」という意味があり、すでに悟りを得た者が最後に振るう一太刀を指します。

❙今此時そ天に抛❙

最期の瞬間に一切の執着を捨て、悟りの境地へ至ることを示しています。

なお、この遺偈には正式な現代訳は存在しませんが、解釈の一例として以下のような意訳が考えられます。

​​[ 01 ]

七十年生きた私の人生に、今ここで終止符を打つ
私はこの宝剣をもって、自らの命だけでなく、師や仏すらも超え、
自らが歩んできた道を断ち切る

​そして私は何も恐れず、この信念と共に、今こそ天へと身を投げ出す

​​

[ 02 ]

七十年を生きてきた今、私はついに真理を悟りました

宝剣をとり、師や仏の教えも断ち切り

私は全てを受け入れ、迷いなくこの天に我身を解き放ちます

[ 03 ]

私が歩んだ七十年の人生、もう心に迷いはありません

すべてを受け入れ、仏と共に天旅立ちます

「抛筌斎千宗易(利休)」の遺偈は、茶道の精神のみならず、禅の思想や生き方そのものを象徴する言葉 であり、現代においても深く考察され続けています。

bottom of page